円環の棺<Side>
空の低いところに、赤くてまるい月が浮かんでいる。
伊吹が意識を取り戻したとき、船はすでに暗闇に包まれていた。 どれくらい眠っていたのだろう。今何時で、ここはどこだ。記憶が曖昧で伊吹は激しく混乱する。 久住を追ってクルーザーに乗り込んで、妙な匂いのガスが充満する部屋に閉じ込められて…その後の記憶がないが、 自分の置かれた状況がどう転んでも好ましいものではないことは確かだ。 顔をしかめて記憶の糸を手繰ろうとするが、靄がかかったようでうまく思い出すことができない。 身体にまとわりつく湿り気を帯びた生ぬるい海の空気に不快感が増す。 船の上だというのに、不思議と辺りは水音さえしない。静かすぎる。 思考は定まらない一方五感だけがいつもにまして鋭敏で、耳が痛い。
「――しま?」
ほとんど無意識に、伊吹は志摩の名を口にした。
夢から覚める前、確かに銃声を聞いた気がする。 伊吹には、それが志摩の放ったものだという確信めいた感覚がある。だが当の志摩の姿は、船内のどこにも見当たらない。
「志摩!おい志摩!!志摩どこだよ!!」
立ち上がって繰り返し名を呼ぶ。しゃがれて不安げに響く自分の声に、余計心をかき乱されてしまいそうだ。
「おはようさーん」
おもむろに階上から間延びした声が降ってきて、伊吹ははじかれたように一足飛びに階段を駆けのぼった。 デッキの上には夜の海を背にしてひとり、久住が佇んでいた。 酒瓶を片手に鷹揚な笑みを浮かべ、値踏みするような視線が伊吹を舐める。
「志摩って、だれ?」
「おれの相棒だ!いるだろ!!」
人を食ったその態度に一瞬で頭に血が上って思わず食ってかかるが、久住は動じる様子を微塵も見せずに笑う。
「はぁ?ラリってんの??」
久住の表情は心底わけが分からないといった様子だ。 とたんに自信が持てなくなって視線を揺らす伊吹に、久住はすかさず追い打ちをかける。
「あんたはここへひとりで来て、そっからずーっと、ひとりや。」
ゆっくりと含めるようにそう言うと、からからと笑った。 すうっと身体中の血が冷えていく感覚とともに、頭の中が一気に晴れていく。
そうだ。おれは一人でここへ来た。もういいっていう投げやりな気持ちと、志摩を見返してやりたい一心で。 あの夜、おれたちは判断を間違って、もう少しのところで久住を逃がして、そのせいで陣馬さんは寝たきりになった。 志摩が判断に迷うことなんて初めてだった。おれが惑わした。 極限の状況で、おれの言うことを信じて病院へ向かうことを選んだ結果がこれだ。 志摩はおれを見限った。だからここへ来るはずがない。
『信じなきゃよかった。――あいつを信じるべきじゃなかった』
志摩がそう言い切るのを聞いたとき、腹の中でどろどろした黒いものが脈打つのを感じた。それは久しく忘れかけていた感覚だった。
単独で久住の行方を追っているらしい志摩の動向を探ろうと仕掛けた盗聴器から聞こえた言葉を、
伊吹が想像したことがないと言えば嘘になる。
確かに膠着状態が続いて、404にも機捜全体にも嫌な空気が漂っていた。
ひき逃げ車両も工場も所有者はダミー、頼みの似顔絵も公表できない。
まるで実在しない悪霊のように、久住につながる糸口はなかった。
八方ふさがりの状況で、志摩がイラついていたのは確かだ。
伊吹自身も、快復しない陣馬のもとを訪れるたび、そして留置所で面会を断られるたびに、
日に日にフラストレーションをためていった。
密行中の空気が目に見えてギクシャクする中、志摩が自分に隠れて動く気配を敏感に察知した伊吹は、
いてもたってもいられなかった。
志摩のスタンドプレイは必ずこいつ自身を危険に晒す。
本当に危険なことをしようとするとき、簡単に握った手を離して伊吹を置き去りにしようとする。
だから隠された本心を引き出そうと挑発しても、言葉どころか殴り返すことさえしなかった。
そのくせ、RECや九重のことは利用する。
なんでだよ、おれはそんなに頼りないか、役に立たないかと問いただしたいのを無理やり飲み込んで、伊吹はその場を立ち去った。
いつかこんな風に見限られる日が来るかもしれないと、内心ずっと思っていた。
それは春に機捜へ異動してきて以来、志摩との関係が深まっていくにつれ、ひそかに伊吹の心の奥で育ち続けてきた恐れだった。
この気持ちが刑事としてのプライドなのか、志摩個人へ向けた執着なのか伊吹にはよくわからない。 半年というそれなりに長い時間の中で、自分たちふたりは本当にいろいろなことを共有してきた。 他愛無くじゃれあう時間も、犯人と対峙する瞬間も、互いのやわらかい部分に踏み込んで黙って隣にいた夜も。 それらを経て、少なくとも伊吹は志摩のことを心の底から信頼していたし、志摩も少なからずそうだと伊吹は思っていた。 相手に向けた気持ちと同じものが返ってこないことには慣れているつもりだったのに、 相棒という居心地のいい関係に甘えて、いつの間にか自分の期待が行き過ぎてしまったのだろうか。 この怒りが何に対するものなのか分からないまま、伊吹は矛先を探して停泊場へ向かった。
「――どうせ久住殺したるいうて、やけになって来たんやろ」
伊吹の思考をなぞるように、久住の粘着質な声が神経を逆なでしていく。そうだ。 おれはこうなった原因をすべて久住に負わせて、精算させるつもりでここに来た。 刑事らしく対話するふりをしてみたところで、本心はこいつの行いをおれの納得いくように償わせたい、それだけだ。 ただただ、手に入れたつもりのものがこんなに脆く簡単に崩れ去ったのが悔しくてたまらなかった。
「相棒の志摩ちゃんにもいらん言われて、そんでひとりで来たんやろ」
久住の口から志摩の名前を聞いて、伊吹は奥歯をかみしめる。 おまえ、おれがどんなに頑張っても心の底では刑事になりきれないクズのままだから、志摩に見切られて当然だって言いたいのか。 そう考えたところで、伊吹は不意に既視感に襲われた。
「なぁんも変わってへんやん、クズのまんまやな」
たった今伊吹が思い浮かべたそのままの言葉を並べる久住は、意味ありげな笑みを浮かべてこちらを見つめている。
「だからなくすんやで」
背筋をすっと冷たい手でなでるような声。眉を上げる久住の顔を睨みつける額を、汗が伝う。 なんだこれは。何かがおかしい。空間がゆがんでいくような錯覚で頭がくらくらする。
「こうなったんは、おまえが、」
やめろ、見たくない。顔から血の気が引いて唇が震える。知っている。おれは、この先を知ってる。
「――しでかした『結果』や」
久住の細い指先が、伊吹の視線をからめとって空中を滑っていく。 それにつられて、伊吹がゆっくりと振り返った先にあるものは。
船室のドアの取っ手、そこに滴る血。人間の血。――志摩の、血。
それを目にした瞬間、伊吹の脳裏を鮮明な映像が駆け巡った。 このドアの中に志摩がいて、額から血を流していて、それを見ておれは。 その先に起こることのすべてを伊吹は思い出す。自分がそれを、すでに何度も繰り返し経験していることも。 混乱と怒りを湛えた目で久住をにらみつけながら、腹の底から吐き気がせりあがってくるのを両腕をきつく抱え込んで 必死におさえる。ぐぐ、と噛み締めた歯が軋んで、おおこわ、と久住が肩をすくめた。 これはドラッグが見せる幻覚かもしれないと頭の片隅で考えるが、伊吹にとってはもはや今目の前にあるものと、 これから起こる最悪のシナリオがすべてだった。 無限に繰り返す幻覚の中にいるとして、そのこと自体に何の意味があるだろう。 たとえこの先を知っていても、伊吹はもはや何にも間に合わずに同じ展開をなぞり続けるだけだ。なぜなら志摩は既に。
伊吹はゆるゆると血の付いたドアへ手を伸ばす。最悪の事態の予感とともに、心臓がどくどくと早鐘を打つ。
感覚のない指先で金属のドアノブを手前へ引くと、それは自重で傾いてごろりと転がり落ちてきた。 汗の浮かぶ土気色の額、血に濡れたくせ毛、うつろな両の瞳。 何度も目にした光景にもかかわらず、伊吹は喉の奥から獣のような呻きを絞りだす。 同じだ、何もかも。結局また、おれは間に合わなかった。どうしたら志摩を救えただろう。どこからならやり直せる? おれが単独行動したから?久住を碇泊場でさっさと半殺しにして捕まえればよかった?久住と話をしたいなんて思わずに?
抱え起こそうとした身体の横でごとりと鈍い音がして、志摩の拳銃が転がり落ちた。 拾い上げた銃身には、たった今まで志摩が握りしめていたようなぬくもりが残っている。
「刑事のままでおるか、クズにもどるか」
背後から久住が語りかける。性懲りもなく、この先自分がどうなるのか知っているくせに。 志摩の口からふっと最後の吐息が漏れて、身体の力が抜けていくのを伊吹はただそばで見守る。 志摩がいってしまう。おれのせいで。熱い、熱くて、苦しくて息ができない。
そして。
志摩の瞳が光をなくした刹那、伊吹は振り向いてためらいなく久住を撃った。今回も、また。
銃声とともに久住の身体が吹き飛ぶ、伊吹はそれを何の感慨もなく眺めた。これで何度目だろう。 時間の感覚も何もかもが遠くなる。何度も何度も繰り返すそのたびに、ただ耐えられない事実を突きつけられて、おれは同じことを繰り返す。
志摩は死んだ。そしておれは久住を殺す。おれの大切なものが奪われて、やっと見つけられた刑事としての居場所がなくなってしまった。
『許さない。刑事の自分を捨てても、俺は許さない』
何度反芻したかしれない、ガマさんの声が頭の中にこだまする。
伊吹は立ち上がると、倒れた久住のもとへふらふらと歩み寄って、上からその身体を見下ろした。 さっきの弾丸はどうやら心臓に命中したようだ。呼吸とともにまだ上下している胸からはどくどくと血があふれている。 伊吹は皮膚と肋骨の下で脈動する傷ついた心臓を思った。こいつの心臓はまだ動いている。志摩の息は止まってしまったというのに。
そのまま狙いをつけて、伊吹は一息に残りの銃弾すべてを久住に撃ち込んだ。 どん、どんと銃声が響くたび、横たわった久住の身体が跳ねて、この男がまだ20代そこらの若者だったことを伊吹は思い出す。 『おれみたいな奴をまっすぐな道に戻す』というついさっき縋るように口にした言葉に、心の中でつばを吐く。 何度赦されてもクズのまんまだったら、そいつは殺すしかないのだ。やがて弾切れを知らせる小さな金属音の後、再び静寂が船を包んだ。
いつか機捜車の中で、志摩はおれが銃を抜いたことを聞いて信じられないとあきれていた。 今の状況は発砲要件ってやつがそろっていただろうかと思案するが、隣から即座に答えてくれる志摩はいない。 掌に握りしめたままの志摩の拳銃は、発砲の熱を帯びてかすかな匂いをあたりに漂わせている。 おまえの撃った弾は久住に届かなかったようだけど、残りは一発残らずぶち込んでやった。 撃ってもどうせ当たらないなんて嘘だったよな。志摩。
あとからあとから頬を涙が伝って、胸の内でかける言葉はどこにも行き場がない。
こんなけものは殺すしかない。だから殺した。
おれの大切なものが壊れた。だから殺した。
何度繰り返したって一緒だ。おれは同じことをする。赦せないから殺す。簡単だ。 おれが犯人を殺したと知ったら、志摩はどれほど怒るだろう。でも志摩はそのことを知らないし、おれを怒ったりもしない。もう永遠に。
その時、足元で不意に何かが動いた。反射的に後ずさると、 撃たれて床に転がったままの久住が不自然な角度で首だけねじ曲げて、こちらを見上げているのと目が合った。 眉間にひとつ、黒々と底の見えない穴が空いている。 〝メケメケフェレット〟とかいう名の悪魔は人間のふりをするのさえやめたようだ。でも、それももうどうでもいい。
「ワレはホンマにあったま悪いのぉ。志摩ちゃんとは大違いや。永久にこのままいうんもええ加減飽きたし、しゃあなしヒントやるわ」
ぽかんと見下ろしていると、久住は死体のくせに盛大に溜息をつく。 出血大サービスやで、と笑い、口の中にたっぷり溜まった血液をぺっと吐き出してから、真っ赤な唇で言った。
『死んだら終わり、死人に口無し。嘘かホンマか、阿呆なアタマでよう考えてみい』
芝居がかったセリフとともに、伊吹の視界は白くフェードアウトした。
*
夏の終わりの太陽が照りつける中、たくさんの刑事に囲まれて初老の男が連行されていく。見慣れた門扉。刈谷とその相棒の刑事の姿も見える。
パトカーの手前まで来たとき、行く手を阻むように真正面に男が立ちふさがった。 志摩だ。なんか知らないけど、すごく怒ってるのが俺には分かる。
『ガマさん』
志摩が男の目をまっすぐ見据えて呼びかけた。ガマさん。 おれは確かこのとき別の場所で、何度も何度もその名前を呼びながら、ひとりでずっと泣いてたんだっけ。
『あなたは何があっても人を殺してはいけなかった。全警察官と、伊吹のために。』
おれはそれをどこか遠くから見ているのに、何故か志摩の声だけがはっきり聞こえた。 志摩が犯人にかける言葉はいつだって厳しくてフェアだ。おれはそれを凄いと思う。 でもこの志摩は、いつもよりも感情的な気がする。 いや、こういうときはいつもすげー怒ってて、なにかを我慢してるみたいに 歯を食いしばって説教垂れるのが志摩なんだけど。 おれがあんなに泣いてたから、いつもより怒ってるのかな。
志摩に何か言葉を返してから、ガマさんはそのままパトカーに乗って行ってしまった。 起きてしまったことは変えられない。おれにも、誰にも時間を巻き戻すことはできない。 もしおれじゃなくて志摩だったらガマさんを止められたのかもって思っても、それはどうしようもない。
志摩は知ってると思うけど、ガマさんはおれにとって正義そのものだったんだ。 ガマさんみたいな刑事になることが、ずっとおれの目標だった。 でも志摩に出会ってから、それがちょっとずつ変わってきた。 うまく言えないけど、志摩がおれを、もっと明るいところへ引っ張り上げてくれた気がする。 だって志摩は、おれみたいなバカと違って、いつだってちゃんと正しいじゃん? そんでそれだけじゃなくて、その正しさをいつも一生懸命おれに分けてくれてるのを、おれは知ってる。 志摩がいてくれるから、おれは迷わずに思いっきり走れるんだ。刑事になって、機捜に来て、本当に良かった。
*
気付いたとき、伊吹は夜のクルーザーの上で、再びあのドアの前に立っていた。 ぽたり、と取っ手から鮮やかな血が滴り落ちて、鼓動が早まる。このドアの奥に何が待ち受けているか、おれはもう知ってる。
死んだら終わり。久住の血まみれの笑顔が蘇る。嘘かほんとか。 そういった久住は、今度は大人しく見物することを決め込んだようで、背後で薄い笑みを浮かべて黙ったまま待っている。 伊吹は震えるまぶたを閉じて、呼吸を整えようとつとめた。
ドアノブにそっと触れた指先から、志摩の血と一緒に冷たい温度が染み込んでくる。 そう、これは志摩の血だ。志摩。心のなかでもう一度呼びかけてから、伊吹はゆっくりと扉を開いた。
――ごとん。
ドアの内側に寄りかかっていた身体が伊吹の足元に転がり落ちた。 鮮血が視界に飛び込んできて、自分ではどうにもできない激しい感情が身体の中を駆け巡るのを懸命に抑える。 伊吹は志摩の身体を抱え上げると、目を背けたくなるのを堪えながらその顔を覗き込んだ。 色を失った唇とうつろな目、こめかみからあごにかけてべったりと血のりが張り付いている。
繰り返す悪夢の中で、自分は何か大事なことを忘れてしまった気がする。 いや、忘れているのではなく、あえて見ないようにしてきた。あの時、初めてこのドアを開けたとき、志摩はおれに何か言ったんだ。
「…いぶ、き」
浅い呼吸の中で吐息のような声がかすかに伊吹の名を呼んだ。 潤んだ志摩の目は薄く開かれているが、焦点が合わずおそらくもう何も見えてはいないのだろう。 だが伊吹はその呼び声を、今度は聞き逃さなかった。薄く開いた唇に耳を寄せて続きを聞き取ろうとする。 志摩。聞かせて、志摩。震えるその左手が縋るように、しかし意外なほど強い力で伊吹の腕をつかんだ。
「――ころすな」
小さな声で、だがはっきりと志摩は言った。
息をするのを忘れたまま涙が一筋、伊吹の頬を伝って落ちた。 志摩の口元からふぅと吐息が漏れて、強張っていた首から徐々に力が抜ける。 伊吹が声もなく見つめる中で、瞳に宿る光が消えて、みるみる表情が虚ろに変わっていく。
死人に口なし。引き結ばれれば強い意志を滲ませ、開けばよく回って相手を打ち負かす唇はもう動かない。 死んだら最後、この男が自分の意思を伝えることはもうない。志摩は死んだ。
「さぁどうする?志摩ちゃん死んでしもたなぁ。こうなったんは全部、お前のしでかした結果やで」
許さない。俺は許さない。殺した先に何もないとしても、殺すだけの理由はある。志摩だって絶対こいつのしたことを許さないだろう。
伊吹は動かなくなった志摩の右手から、丁寧に拳銃を抜き取った。
「怒った?怒ったよなぁ。プッツン切れて俺のことボコボコにしたいやろ。 どんだけ熱血刑事のふりしたって、お前は所詮どうしようもないクズやもんなぁ」
久住のあからさまな挑発が聞こえているのか否か、伊吹はゆっくりとした動きで立ち上がって背後を振り返った。 そのまま、銃口を迷いなく久住の背へ向ける。
カチャリという金属音に気付いた久住がこちらを振り返った、そのとき。
ぱらぱらと乾いた音を立てて、銃弾が床に転がり落ちた。 予想外の展開に目を見開いた久住の前で、伊吹はリボルバーの弾倉から銃弾を全て抜きとっていた。
足元に転がった鈍い金色の残弾は、分駐所で装填されたときのまま、全部で5発。 伊吹はそれを認めて、小さく笑った。志摩は最後まで撃たなかったのだ、少なくとも今度は。
昼間の電話のあと、志摩は血相変えてここへ駆けつけた。 曖昧な情報で組織を振り回すのを嫌う志摩は、きっとひとりでやってきたのだろう。 そしておれの身に何かが起きたのを察知して、無謀にも単独で敵地に突入し、久住と対峙する事になった。 その絶望的な状況でさえ、志摩は発砲しなかったのだ。 おれの相棒は、最後まで刑事として正しいままだった。 ここまで来たらどれだけ強情なんだよとあきれてしまう。 でもそれこそがおれの信じる志摩の姿で、たぶん志摩の〝軸〟なんだろうと思う。 頭が切れて厳しくて、皮肉屋で辛辣だけどでも実はすごくやさしくて、いつだって正しくありたいと願い続けるおれの相棒。
それなら、おれの軸は何だろう。
クズの自分はどうしたって心の奥から消し去れないし、尊敬してきたガマさんは人を殺してしまった。
信じていたものはいつも簡単におれの手のひらから転がり落ちてしまう。
志摩だって——久住を殺してしまう志摩が、繰り返す世界のどこかにいたかもしれない。
ちょっとしたスイッチでおれたちは間違えてしまうし、時にはそれが取り返しのつかない結果をもたらす。
でも、もし何も無くなってしまっても、志摩が最後まで正しいままでいたように、おれも死ぬまで刑事でありたいと思う。
こんな悪夢の中でさえ、変わらずそれがおれのなりたいおれの姿だから。
久住の言うように、刑事の自分にしがみついてるだけかもしれない。それでもいい。
自分の中の狂犬をうまく飼いならしながら、時々それはすごく骨の折れることだけど、それでも。
この先ずっと刑事として生きていけたなら。
おれの軸は、志摩に見合う正しい刑事でいることだ。 たとえ志摩がおれの隣りからいなくなってしまっても、最後まで胸を張って相棒って呼べるように。
空になった弾倉を戻した拳銃を人差し指にかけてくるりと回してから、久住の額に向けてそれを突きつける。 格好つけすぎだって志摩に怒られるかもしれないけど、頑張ったんだから少しは大目に見てほしい。
「おれはお前を許さない。だから、殺さない」
久住はふんと鼻で笑ってから、せぇか~い、と高らかに告げた。