Seize The Star

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その声が止むまで

 『えぇ?電話してくんの初めてじゃね?』

 スマホから流れ出した声が想像していたよりも随分明るくて、強張っていた頬が少しだけ緩んだ。 自分が柄にもなく緊張しているのを認めて、電話口に聞こえないよう志摩は短く息を吐く。 伊吹のところへ行くと決めたのは自分だ。どうしても今日、直接会って話さなくてはならないことがあるから。 電話越しの伊吹の声は、おちゃらけているのに少しだけよそよそしく思えて、志摩は電話の向こう側の息遣いに耳を澄ませる。 わずかに警戒の気配が混じっている気がするのは考えすぎだと思いたい。

 「今から会えるか?」

 いや仲良しか!間髪入れず発されるいつもに増して軽い調子のツッコミに続き、 こちらの現在地を伝えれば明るい声が官舎の棟と部屋番号を告げた。 今志摩がいるのは官舎の敷地から一番近いコンビニを出たところなので、ここから伊吹の部屋までは5分とかからない。 電話を切って、俯いていた顔を上げ店舗の軒下から踏み出す。 9月のまだ強い日の光が顔に差して、細めたまぶたに伊吹の満面の笑顔が浮かんだ。 いつだって太陽みたいにまぶしくて、守られるべき弱者に、罪を背負った者たちにさえ、等しく向けられる笑顔。 4日に1度の24時間を共にするうちに、それは志摩自身にも燦燦と惜しみなく降り注がれてきた。 自分の行動がそんな伊吹への裏切りになるかどうか、志摩には判断がつかなかった。

   *   

 古びた玄関ドアを勢いよく開けた伊吹は、いらっしゃーいといかにも上機嫌に志摩を迎え入れた。 部屋は意外にきれいに片付けられていて、日用品に交ざって伊吹の趣味嗜好を映し出すものたちが随所にある。 きっちりと畳んだ沢山のTシャツ、大事そうに並べられたバンドのツアーグッズ、 訪問してまず目につく10足以上のシューズは、ライトアップされて真正面で存在感を放っている。 押し入れの一角にはおそらく奥多摩から出てきて以来括られたままの、警察官試験の参考書や実務六法の分厚い背表紙。 6畳二間の掃き出し窓はどちらも大きく開け放たれて、うすい藍色のカーテンが心地よさげに揺れていた。 他人のテリトリーに踏み込んだ緊張感よりも、この部屋が間違いようもなく伊吹の一部だということが感じられて、 初めて来たのにそれを居心地よく思う自分が少しくすぐったい。

「一応、手土産」
 先ほどコンビニで適当に見繕ったビールとつまみを手渡すと、伊吹の声のトーンが一段と上がった。
「おっありがと!なんだなんだ?昼間っから飲んじゃう~?」
 きゃぴきゃぴと大げさに笑う。気の置けない相棒がプライベートで訪ねてきてくれて、いかにも心から嬉しいのだというように。
「てか休みの日は会わないんじゃなかった?もしかして会いたくなっちゃった?も〜、俺のこと大好きなんだから」

 伊吹は他愛ないおしゃべりを絶え間なく続けるが、いつになく会話が上滑りだった。 こいつは俺が何をしに来たか気づいている。もとよりこの勘の鋭い男の前でこちらの企てを隠し通せるわけもないが、 いよいよ後がないことを知って体が固くなる。 ローテーブルの手前に腰を下ろして、伊吹の昔話に耳を傾けながら志摩は会話の糸口ができるのを待つ。

 今日の伊吹はやはり饒舌だった。
 荒れた少年時代を送る自分に寄り添い〝正しい道〟に戻してくれたのがガマさんであること。 刑事になりたいと思ったとき、ガマさんだけが『お前ならなれる』と背中を押してくれたこと。

 これまで密行の車内で断片的に教えてくれたガマさんとの思い出を、大事そうに志摩の前に並べて見せてくれる。 警察官になったきっかけを改めて聞くまでもなく、今の伊吹がガマさんとの時間に根差しているらしいことを志摩は知っていた。 先日伊吹に連れられて対面したガマさんは、病気による衰えを感じさせながらも、 現役時代の鋭い洞察力を思わせる目つきと、伊吹を更生させた温かい人柄を併せ持つ話通りの人物だった。 立ち去り際に志摩君、と呼ばれた声に、教え子への愛情が滲んでいる気がした。 笑みを浮かべながらガマさんは言った。志摩君、これからも伊吹をよろしく頼むよ。

 懐かしそうに話す伊吹の横顔が不意にこちらを向いて、すっと翳った。

 「てか志摩ちゃんさぁ」

 きた。こういう時伊吹の声はいつになく低くなって、否応なしにこちらを臨戦態勢にする。

 「…なんか言いたいことがあんだろ?そんで来たんだろ?」

 静かに相手の額へ銃口を突きつけるような言葉。みぞおちあたりがスッと冷えて、不穏な雰囲気を志摩はあえて茶化す。

 「おっ、野生の勘。」

 待ては苦手だもんな、そっちから来ると思ったよ。

 話を聞くそぶりを見せつつも、伊吹はすぐに目をそらしてビニール袋の中を漁り始めた。 志摩の話などさして重要ではないとでも言いたげに、 おっポテチ、などとつぶやきながらビール片手につまみを物色しているが、耳はしっかりこちらに向いているのが志摩には分かる。

 お前のことをいい奴だと言ったのも、俺がお前の能力を評価しているのも本心だ。 衝動性や幼さと不思議と両立する、傍にいると眩しいくらいの伊吹の善良な一面。 時々それが志摩をたまらない気持ちにさせる。そんな伊吹だから、見えているものを見ないふりして、 きっと今一人で苦しんでいる。 気持ちに蓋なんてできないくせに、何かに背を向けて堪える姿を思って気持ちがざわつく。

 自分の視線が揺れていないことを願いつつ、まっすぐ相手を見据えてつとめて穏やかに話し始めた。

 ――4月5日の事故のこと。

 麗子さんは病気ではなく、自宅前で車に轢かれて亡くなった。 捻じ曲げられた歩行器、石垣に残った白い塗料。その時の外傷が事故の記憶を奪ったのだと、本人の証言から判断されたこと。 なるほどね、それで記憶が。納得顔でそう頷いた伊吹は、おそらく今初めて事故の詳細を聞いているはずだ。 やさしいこの男は、自分の勘が多少の違和感を伝えてきたとしても、 亡き妻の最後を詮索するようなことは一切尋ねなかっただろうから。 歩行器を見て事故を疑ったとしても、いつものようにあちこち嗅ぎまわるようなことはできない。 先日志摩と一緒に訪問したときのガマさんは、外国人留学生の前で強気に振る舞ってはいたが、 妻に先立たれ生きる気力を失いつつある老人そのものだった。 そんな恩師の姿を目の当たりにして、寂しさと少しの恐れと、焦燥感をにじませた横顔が忘れられない。 あるいは目の前で妻を失った記憶は外傷によって本当に書き換えられてしまい、 事故をきっかけにした脳の障害が老人を少しずつ哀しみのない世界へ連れていこうとしているだけなのかもしれない。 だがそれは恐らく、予断に過ぎない。

 事故の日は奇しくも、伊吹が4機捜に異動してきた初日だった。 志摩はここから捜査一課も夢じゃないとはしゃぐ伊吹を思い出す。 そこからは怒涛の日々を共にしてきた。ガマさんに連絡する余裕はなかっただろうし、 血縁者でもない伊吹のもとへ、誰かがガマさんの事故のことを連絡するはずもない。 伊吹がガマさんと飲みに行ったと嬉しそうに話していたのは6月中ごろだったか。 事故から2か月、ガマさんの外傷は癒え、外国人労働者相手のボランティアも始めて、 彼が麗子さんを失ったことをゆっくりと受け入れ、新しい生活に慣れつつあるように見えただろう。 久々に会った伊吹はガマさんの異変に気付かず、ガマさんは堀内殺しの決意を伊吹に悟らせることはなかった。

 ガマさんが麗子さんを亡くしたと知って、その後伊吹は頻繁に電話なりで連絡をとっていたかもしれない。 だが芝浦から2時間かけて八王子に出向く機会はそう多くなかっただろう。 桔梗宅の盗聴騒ぎ以降、機捜の業務の合間を縫ってエトリの捜査に奔走し、 時間ができれば借り上げマンションに移った羽野麦とゆたかの身辺を警護する中で、夏は一足飛びに過ぎていった。 隣から見る伊吹は決まって、目に映る守るべきものたちのために心をくだき奔走していた、いつだって。 そんなことを思いながら一つ一つ慎重に言葉を選び、伊吹が見えなかった、見なかった可能性をふたりの間にあぶり出す。

 伊吹は視線を落としたまま我関せずといった風を装っているが、そのうつむいた頬が紅潮していくのがはっきり分かる。 いつの間にか風が止み、部屋の空気がひりつく。

 そして今朝。

 刈谷から入手した事故の報告書を何度も読み返しながら、志摩はずっと考えていた。 ガマさんは認知があやふやになっていたわけではない。妻は病死だと意図的に伊吹に嘘をついた。 つまり事故のことを隠したということだ。なぜと問うまでもなく、思考は整合性のとれる一つの可能性にたどり着く。 伊吹にとって、恩師が老いていくのと比較にならないくらい、むごくて逃げだしたくなる可能性。

 明け方、分駐所での短時間の仮眠のはざまで、 ガマさんに向けられる伊吹の表情が何度も蘇って、 彼らが共有してきた自分の知らない時間を思った。 その鋭い五感で、伊吹は何かに気付いていただろうか。 自分を連れてガマさんを訪問した時、嬉しそうに、少し誇らしげにガマさんへ志摩を、 志摩にガマさんを紹介したあのときの伊吹は、心の内にこうなる予感を少しも感じていなかっただろうか。 結局ほとんど睡眠をとれないまま、朝になった。

 家に寄ってシャワーと着替えをすませ、そのまま堀内が借りた車の型を確かめに修理工場へ向かった。 いつもなら軽い興奮とともにやってくる、すべてが一つの結論に収束していく感覚を確かに覚えているのに、 犯人を追い詰めるというより自分が追い込まれていくような妙な気分だ。 白のSUVの写真を見たとき感じたのは、高揚感よりも逃げ場の無くなった焦燥だった。 修理工場で張っていたところに鉢合わせた刈谷達には、すでにこの情報と明日の計画を伝えてある。 ―― 手柄は一切いらないから、自分たちのやり方に協力してほしいと。

「待てよ」

 沈黙を守っていた伊吹がイラついた声を上げた。 一歩一歩確実に真相へ近づいている感覚と同時に、口の中に苦いものがじわりと広がっていく。 こうなることを恐れながら、志摩は突き進まないわけにはいかない。

「堀内は借りた車を売ったんじゃない、事故の発覚を恐れて廃車にしたんだ」

「待て待て、待てって!」

 ピリッと電流が走ったような感覚とともに、バン!と伊吹の大きな掌が机に叩きつけられた。

「想像だろ!全部志摩の想像!」

 想像。そう、想像だ。お前が見ないふりした事実をつなぎ合わせた想像に過ぎない。

「…動機が、あるってことだ」

 他の容疑者には無かった殺しの動機が。伊吹の目を見つめて、静かに、諭すように言う。伊吹の頬が震えている。

「動機があっても!」

 熱を帯びた目と目がやっとぶつかった。

「ガマさんは刑事だ。…な?」

 怒声に続いた言葉は意外なほど弱弱しく、まるで志摩に懇願するようだった。 疑い深いお前の言いがかりだって言ってくれよ。どうか。

 今にも泣きだしそうな目が身体を縛りつけて、胸がチリチリと焼け付く。 それでも、何があろうと、ここで目を背けることはできないのだ。自分は刑事だから。伊吹の相棒だから。

 まっすぐ見つめ返して、願いを込めて伝えることしかできないけれど。

「確かめよう、伊吹。ガマさんが本当に犯人かどうか。」

 お前ならできる。お前にしかできないことだ。

「事故があったのは、紛れもない事実だ。ガマさんがあの日のことを覚えているのか。 本当に怪我のせいで何も覚えていないとしても、お前ならもう一度本当のことを聞き出せる」

 志摩の言葉は伊吹が縋る可能性をなお否定せずに、穏やかでやさしかった。 けれどその確信が少しも揺らいでいないことは、明白だった。

――ガマさんの、無実を証明する。俺が」

 俯いて絞りだした声がどうしようもなく震えて、伊吹は缶ビールをあおった。

(それで、俺とハムちゃんと3人で暮らすんだ。)

 言葉にはできなかった。口にしたら最後、それが絶対に実現しないことが決まってしまいそうで。

 志摩は翌日の手はずを伊吹に伝えた。

   *   

 志摩から電話がかかってきた時、なんとなく嫌な予感がした。 こいつが休みの日に、ただ気が向いて俺に会いに来るわけなんてない。わかってる。 それと同じくらい、志摩は確信がないままこんなこと言わない。俺の大切な人だって知ってるから。
 それもよくわかってる。

 本当は堀内の遺体を見たときから嫌な気分だった。 夏場に袋詰めにされて酷く腐乱した胸にかけられた、赤い十字架に見覚えがあったた。 ビールと寿司片手にガマさんの家を訪れたとき。 ろうそくの火が絶えない小さな祭壇に、よく似た首飾りを付けた麗子さんが笑っているのを見た気がしたけど、 小さな疑念を抱いた自分を認めたくなくて必死に振り払った。

 猟奇的な手口で連続殺人を装った犯人が、何らかの理由で残したロザリオ。 それは切断された三本の指や「獣」の荷札と同じく、被害者への断罪の意味を込めた呪符かもしれないし、 処刑によって罪人へもたらされる赦しの象徴かもしれない。 でも、それはおそらくヒントだったんだと俺は思う。 俺があの十字架を見つけたら、麗子さんのものだと気づくってガマさんには分かってたはずだ。 俺はそのヒントを見えないふりした。なんだって、ガマさんはあんなものを。

 志摩が気付かなかったら。昨日俺の部屋に来なかったら。俺はガマさんをどうしていただろうか。

――志摩なら、志摩ならどうした?

「行ってくる」

 俺が付けてるのは袖口の隠しマイクだけだから、この声は一方通行だ。 だけど志摩が石塀の外で小さく返事したような気がする。

 息を大きく吸ってからゆっくり吐いて、俺はガマさん宅の呼び鈴を押した。

   *   

 捜査本部の面々があわただしく車に乗り込み、刈谷たちの車と前後して走り去っていくのを志摩は見送った。 後には数名の捜査員が規制線を張った庭先に出入りしたり、どこかしらと連絡をとりあっている。 野次馬の数も増えてきた。現場検証のため呼ばれた応援班が間もなくつくはずだから、この騒がしさはしばらく続くだろう。

 伊吹の訪問を受けて、蒲郡はあっさりと犯行を認めた。 犯人の自白を引き出すため、それから伊吹にとってもその方が良いと判断して、志摩は伊吹を一人で行かせることにした。 犯人逃亡の恐れを主張する刈谷達を説得したのは志摩だ。 伊吹が私情を置いて被疑者を説得できるのかと疑問視する声が上がったが、 いつでも踏み込めるよう周囲を厳重に固めることと、最後は桔梗隊長から対策室長への直談判でなんとか合意を取り付けた。 説得を任せてもいいと、伊吹に対する桔梗隊長の信頼を得られていることが志摩にはうれしかった。

 志摩と捜査員たちは家の外から、伊吹の袖につけたピンマイクで一部始終を聞くこととなった。 退職後とはいえ警察官による殺人。 9月の残暑が焼け付くような住宅地の一角で、家を取り囲む捜査員たちは息を飲んで伊吹と蒲郡の対話に耳を澄ませた。

『―許さない。俺は、許さない。』

 先日のおぼつかない様子が嘘のような蒲郡の声に、後悔の色は微塵も無かった。 もはや誰にもこの男を引き戻せない。〝もしも〟なんて、今となっては何の意味も無いのだ。 『自分で閉じてしまった奴の手を掴むのは難しい』という陣馬さんの言葉どおりに、 哀しみと怒りとがガマさんを完全に閉じさせてしまった。 彼を恩師と家族同然に慕う、ばかみたいにまっすぐなあの男に対してでさえ。

『…俺は、どこで止められた?どうしたらよかった?』

 伊吹の声が震えているのがイヤホン越しにもわかった。蒲郡は何も応えない。

『ねぇ。ねぇガマさん!』

 荒げた声は、まるでちいさな子供が泣きべそをかきながら駄々をこねるようだった。 他人に共感してすぐ潤む瞳がいっぱいに涙を湛えている様子が、志摩には手に取るようにわかる。 痛々しくてとても聞いていられない。けれど、自分だけは最後までこの声を聞いていなくてはならない。

 本当は迷った。伊吹に知らせるかどうか。

 分駐所で事故の報告書を読みながら、あとは刈谷たちに任せることも考えた。 だが伊吹をどんなに悲しませるとしても、暴かないわけにはいかない。 それもできれば、伊吹自身の手で。そうでなければ、伊吹はきっと一生乗り越えることができない。 一晩ひとりで考えて、志摩はこうすることを選んだ。

 恩師が殺人を犯した事実は、伊吹をどん底に突き落とすだろう。 もしかしたら彼自身の刑事としての存在意義さえ根底から覆してしまうかもしれない。 情に流されすぎる上に衝動的なこの男が、やけを起こしてガマさんと心中しかねない、と以前の志摩なら考えたかもしれない。 だが、伊吹は刑事として真実を受け止め、大切な人の罪に向き合えると志摩は思った。 そうであってほしいと願って、恩師の自白を引き出すという辛い役を伊吹に任せた。うまくいかないかもしれないとは思わなかった。正直すぎるこの男は、結局真正面から何の戦略も打算もなしに、半泣きでぶつかっていっただけだけれど、立派に役目を果たしたと思う。

『俺は他人も自分も信じない』

 初めて伊吹に会った日、そう言ったのは志摩自身だ。 それは伊吹に刑事としての姿勢を諭すだけではない、過去に致命的な過ちを犯した自分に対する戒めでもあった。 信じるべきは人の意思と、厳然たる客観的証拠のみ。 それらを積み上げていけば自ずと真実にたどり着けるはずだから、個人的な期待など取り除くべきバイアスでしかない。

 でも今、自分は伊吹のことを心から信じたいと思う。だからひとりで行かせた。 伊吹が自分自身でガマさんの罪を受け止め、刑事としての軸足を失わずにいつか深い傷から立ち直れると、志摩は信じている。 時間がかかってもいい。 これから何度も何度も何度も繰り返す、「あのとき、なぜ」を、日常で薄めて体に慣らして、 伊吹がその傷と一緒に生きていけるようにと心から願う。 それがどれだけの力になるかわからないが、404が存在する限り、自分が伊吹の隣に並んで走り続けることだってできる。 志摩にかけられた重い呪縛を伊吹が解いた日、あの屋上で伊吹は同じことを志摩に言った。 俺の生命線は長いから安心しろ、と。その時は自分がこの得難い男に引き上げられたと思ったが、 笑ってしまうことに、これからはお互いが手を引きあっていかなくてはならないようだ。 こんな野犬と手をとりあって走るなんてやりにくくて仕方ないから、ただ同じスピードで隣を並走すればいい。 自分たちは同じ方向を向いているのだから。こいつがあのばかみたいに屈託ない笑顔を振りまけなくなったとしても、 一緒にこの町を走っているうちに元気を取り戻して、いつかまた相棒のことなどお構いなしに獲物を追いかけていくだろう。

 ほんの数分前に皆が耳をそばだてていた隠しマイクの音声に耳を傾ける者は、すでに誰もいない。 たった一人志摩のイヤホンからだけ、絶え間なく子供のような嗚咽が漏れ続けている。

 その声をただ浴びるように、傾きつつある日差しを受けて志摩はひとり立ちつくす。

 この声が途切れるまで、ここでこうしていたいと思った。 今日の伊吹の悲しみが、ちゃんと自分の身体に染み込んで消えないように。

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