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丁字路にて

 暖かくなると途端に気になってくる特有の匂いを押し込めるようにして、部室の扉を閉めた。 何度か花道の犠牲になったことがあるチャチな留め金に南京錠をおろして、 そろそろ制汗スプレーを買わなきゃなと考えながら校門へ向かうと、 荷物でぱんぱんのバッグを背負った三井さんが俺を待っていた。 西陽に照らされて思い切りしかめた顔を見て目つきのわりぃ不良がいると笑えば、 どっちがだよと軽く小突かれて、俺たちは並んで学校を後にする。

 この人が部活に出るのは、今日が最後だ。
――やっとというべきか、とうとうというべきか。
 冬大会の後に引退するはずが何だかんだと理由をつけては先延ばしにしてきたのだけれど、 さすがに今度こそは本当に最後だろう。年末以降の超短期決戦で臨んだ大学入試に連戦連敗の末、 最後の最後でバスケの出来る私大にギリギリ引っかかって、なんとあの三井さんが春からは大学生だ。 往生際の悪さはさすが諦めの悪い男だと、かつての姿を知る俺たちは謎の感動すら覚えながら荒っぽく祝った。

 ケガから復帰した時のきれいな坊主頭がだいぶ伸びてきた花道の髪を次はどうするのが面白いかとか、 赤木さんは早々に合格したくせにちっとも部活に顔出さないとか、 桑田の奴が最近晴子に鼻の下伸ばしてるからシメた方がいいとか。 そういうどうでもいい話をだべりながらいつもの道をだらだらと歩く。 部活帰りの町は夕陽の色に染まっていて、3月になって急に気温が上がったのもあり、 練習後の身体が気持ちよく緩んで良い気分だ。 ほどなくして俺たちは、互いの別れ道についた。 そのT字路には、いつも閉まってるタバコ屋の前にいくつか自販機と灰皿が並んでいて、 ジャンケンで負けたやつが飲み物を奢るのがお決まりになっている。 つっても、三井さんが致命的にジャンケンが弱いせいで (あと花道が負けたときの分をよく肩代わりさせられるせいで)、 大抵俺ら下級生が三井さんのご相伴にあずかることになるんだけど。

 今日は特に同意を得ないまま自販機に小銭を入れて、いつものでいっすよね、と大容量のスポーツ飲料のボタンを押した。

「俺からの餞別っす、ちょっと早いけど」
三井さんには何だかんだ世話になったんで。

 数日後に迫っている卒業式では、赤木さんや小暮さんとまとめて盛大に送り出す計画がひそかに進んでいるが、 もちろん本人たちにはまだ内緒だ。これはそれとは別で、まぁ個人的なけじめというか、区切りみたいなものだ。

 ガコンと窮屈そうに落ちてきた二本の缶ジュースのひとつを手渡し、 歩道の柵に並んで腰掛けながら、三井さんの顔をなるべく見ないようにして言った。 こうしてふたりきりの時、みんなの前で悪ノリする時と違って、俺はなんだか少しだけ勝手が分からなくなって少し焦る。 自然と三井さんの方もいつもの騒がしさがナリを潜めてマジっぽい感じになりがちで、 それがまたソワソワと落ち着かない。 気を紛らわすようにその場でプルタブをあけ、おつかれっすと缶を合わせて口をつける。

 この人には練習帰りに幾度となく、アイスだラーメンだと奢ってもらった。 別に俺たちがたかってばかりいたわけじゃないが、三井さんはそういう、 先輩らしく後輩をかわいがることに余念がなかった。 そこに罪滅ぼしみたいな気持ちがあるのか無いのかは知らないけど、部のためになると思ってやってるフシも何となく感じた。 実際ダンナと小暮さんが引退した後の新体制でも、 残ったメンバーをまとめるのに少なからぬ働きをしてくれている。 安西先生をあがめてるおかげもあってか、 三井さんはああ見えてみんなの気持ちを鼓舞したり緊張をほぐしたりするのが上手い。 俺も目の上のタンコブ扱いしつつ、内心助かっていたのは確かだった。

「宮城よ」

 しばらく大人しく缶ジュースを啜っていた三井さんが口を開いた。 こういう時は油断できない。クソ真面目だったりピントがずれたことを言い出して、 俺を呼吸困難にするのが常だ。ちょっと身構える俺に、三井さんは真剣な表情で口を開いた。

「おれはよ、この1年おまえらとバスケができて本当に幸せだったと思ってるぜ」
「なんすか藪から棒に。引退すると言うことが急にジジイになるんすか」
「まあ聞け」

 三井さんがデカい身体をわざわざこっちに向けたので、俺も仕方なく三井さんの顔を見た。 まっすぐな眉の下にある黒い目が、これまたまっすぐこちらを見てくる。 その視線があんまりあけすけで思わずひるみそうになったのを悟られないように、俺はつい片眉を上げた。

「だからよ…あの時は。バスケ部潰そうとして悪かった。」
「!?」
 口に含んだ炭酸をブハッと吹き出しそうになるのを必死にこらえた。むせかけて鼻の奥が痛い。

「…っはぁ?てかなんすかそれ、ものすげぇ今更!あんた俺に前歯折られたの忘れました?お互い様だろ」
「そういうことじゃねーんだ」

 あの時の話をすると赤くなって目を泳がす三井さんにしては珍しく落ち着いた口調だったので、 俺はまた腹のあたりがそわそわして大人しく黙った。
「そういうことじゃなくてよ。 赤木と小暮は昔のおれを知ってた。知らないおまえが受け入れてくれたから、おれはこのチームでやれたんだ。 宮城にはずっと、感謝しきれねーと思ってる。…ありがとう」

卒業前にちゃんと言っとかねーとと思ってな。

柄にもねぇことをとか、あんたが戦力になると思ったからだとか。とっさに口をつきそうになった言葉は全部宙に浮いた。

 どこからか花の匂いがしている。さっき鼻に入りかけたファンタのせいじゃなく、 甘ったるい春の匂いがあたりに漂っていることに不意に気が付いた。 去年の今頃は確か、季節外れの雪があの屋上に降っていたというのに。 俺は匂いのありかを目で探しながら胸の内では妙に焦って、ズボンのポケットに突っ込んだ片手で意味も無く小銭を弄んだ。

 固まったまま言葉を継げずにいる俺の顔を横目で確認すると、三井さんはフンとおかしそうに笑った。
――クソ、やっぱ気に入らねぇなこの人。 まわりを好き放題かき回して、こんなに自分勝手で寂しがりでいい加減な男のくせに。 変なとこでキッチリ筋が通ってて、あと数日もすればキレイに目の前から居なくなってしまうなんて、そんなのアリだろうか。

 あの夏が。この人とあのチームで戦った夏が、もう半年も前のことだなんて信じられなかった。 あの40分は永遠でもほんの一瞬でもあって、思い返すといつも時間は意味のない尺度だった。 今はただ、死ぬほどキツくて熱くて楽しかった感覚だけが身体の中に残ってる。 俺たちはみんなそれぞれ、他人のためなんかじゃなく自分のために必死で、今バスケをする事に夢中だった。 でもその気持ちを誰よりも人前にさらけ出したのは多分この人だったと思う。 その願いは痛々しくてかっこ悪くて、見てるとこっちまで息ができなくなって、 もう許すも許さないもなかった。
 だって、どんなにまたバスケがやりたくても、どれほどバスケの神様に愛されていたとしても、 もう二度とコートに立てない人のことを、俺はよく知っていた。

――そういや」
 口から言葉が勝手にこぼれ出る。この人の繕わない言葉に対して、 自分が投げ返すべきものは多分これしかなかった。 調子づかせそうでムカつく気もするけど、まあいいや、餞別だ。

「俺の兄貴、バスケやってたんすよ。事故で、もういないんだけど」

 完全に茶化されるのを待つ姿勢だった三井さんが息をとめた。 左頬に遠慮のない視線が刺さる。 家族の間でさえ、こないだまで沖縄に置いてきたことになっていた話だ。 ここに来てからは誰にも、ヤスにだって打ち明けたことはない。 同情されたくないし、ナメられるのはもっと嫌だし、 何より”俺たち”はいつも、そんな話をするべき間柄じゃなかった。

 耳の奥で心臓がトクトクと音を立てている。でも、そうだよな。 ちゃんと言っとかねーと。俺は身体ごとちゃんと隣を向いて、少し上にある三井さんの顔を見上げた。

「あんたってさ、ちゃんと先輩でしたよ、みんなにとって。
でも俺にはそれだけじゃなくて…それ以上に、兄貴みたいでもあった。全っ然似てないのに。」

変だよね。バスケのスタイルだって違うし、暴力的でちっとも優しくないし、 やってること滅茶苦茶でガキっぽくて似ても似つかないのに。

―― あんたが居なかったらバスケ続けてたかどうか分かんないのは、俺も一緒なんで」

 三井さんは目を見開いて、痛いくらいにじっと俺を見返した。 少しだけ考えるような顔をしてそれから、そうなんかよ、とぶっきらぼうに応えた。

 覚えてないでしょうねあんたは。でもそれでいいよ。 あんたはこの先どこへ行ってもあの頃のままで、バスケやってる自分を信じてて、 一緒にプレイする仲間が大好きなあんたのままでいてくれさえすりゃあ。

「まったくアンタって手のかかる先輩でしたよほんとに」
「うっせ、おめぇが生意気すぎんだよ」

 どんなにいいチームでも一緒にやれるのはほんのいっときだ。 次に行くときはみんな別々で、それぞれの道がほんの一瞬交わったに過ぎない。 でも、これから先どこに居たって、こうして肩を並べて同じ方向を目指した気持ちは忘れない。
 いや、いつか忘れるのかもしれないけど。 そもそも一生バスケに関わる人生を選ぶ人間は一握りだ。 絶対なんてないし、それぞれの道がどこに向かって、どこまで続くかは分からない。 でもきっと死ぬまで、俺の心の中に消えない跡を残す気がする。

「おれはよー宮城、大学でも本気でやるぜ。で、いつか山王戦よりもっといい試合をする。 見てろよ。おれもおまえらのことずっと見てるからな」
「いや重いっすよ!そこはたまにでいいんで」

「湘北を頼むぜ。今年こそ全国制覇だろ」
「当然!」

 三井さんが飲み終えた缶を自販横のゴミ箱へ向かって放り投げたので、俺もそれにならった。 この人とこういう時間を過ごすのはこれが最後かもしれない。 それは当然、自分にだってあとたった一年しか残されていない。
 三井さんのポカリスエットは綺麗な弧を描いて吸い込まれるように落ち、 俺がへこましたファンタグレープはゴミ箱のふちに当たって一度跳ねて、でもちゃんと入った。 俺たちは顔を見合わせて笑った。

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