ブルーアンバー各話解説(後)
(6)帰還航路:34頁14,000字
現在編。年代的には2000年代中頃の設定で、「花に嵐」の別れから13年後。
地元で働いている洋平には家族(配偶者と子どもひとり)がいて、渡米後そのままNBAを目指してアメリカでプレーしている花道とはすっかり疎遠に。ええ、自分でも思います。なんでこの設定で書き始めたのか。オリジナル要素ばっかりで書きにくさも当然あったし、そもそも何が楽しくてこんな話を…?というね。ただただ「花道は一度飛び出していったら戻ってこなさそう」「洋平は黙って送り出しそう」そして「大人になったふたりを見てみたい」という欲求から始まり、そういえばNBA選手になった花道とアメリカについて行った洋平の話か日本にとどまって選手と社会人やってるふたりの話ならたくさんあるけど、ジャンル広しといえどそうじゃない方の話ってあんま見かけないな…じゃあ書くか。みたいな動機だった。
いや、世の中に無いのも当然だよね。そんな設定じゃふたりが一緒にいるの難しいからね。おまけに所帯持ちになったら猶更くっつく余地なくなっちゃうしね。
隙間産業なのは分かり切ったこととして、それ以上に着地点の構想もなく書き始めてしまったのは計画性がなさすぎた。しかし始めたからにはこのずっともだもだしている水戸洋平をどうにか結末へ連れて行く義理があるというもの。さてどうするか。
自分でも先の見えないまま、現在編は何となく「夢破れて帰ってきた」感じの花道を洋平たち昔のツレが迎える場面から始まる。これを書いた当時は花道側の物語がまるっきり空白で、ただアメリカのキャリアを終えて帰ってきたという事実だけがあった。軍団との宅飲みだったり赤木や小暮との再会焼肉だったり、断片的なやりたいシーンだけではそりゃ続きが書けんわなという。
それでも花道がずっと音沙汰なく、忘れたころに突然帰ってくるというのは私の中では妥当に思える。元気に飛び出していったきり帰ってこない気がして。便りのないのが良い知らせみたいな、常にうっすら寂しい欠乏感を抱えながら余生を送るおばあちゃんの気持ちを感じて洋平に背負わせたわけですね。ごめんね洋平。
改変にあたっては、洋平から見た花道に「昔とはなんとなく変わった気がする」雰囲気と、時間とともに心理的な隔たりの描写も追加した。花道のピアスや首筋のタトゥーはそのシンボルとして。タトゥーの絵柄は海から顔を出す太陽。過去編の最後のシーンに昇る朝日でもあり、先取りですが現在編の最後のシーンに沈む夕日でもある。
大人になって、お互い別々の場所で人生を送ってきたふたりがここからどう接近できるのか、自分でもまだ分からず不安だったのを覚えています。
(7)エスコートランナー:32頁15,000字
エスコートランナー(伴走者)とは花道のことを遠くから応援し続けてきたかつての仲間たちと、それぞれの場所でバスケに向き合い続けている赤木や木暮のこと。高校時代バスケによって周囲からの承認を得た花道が、そういうものを全部日本に置いて渡米し、戻って来てひとつずつ再会していくパート。こっからずっと同窓会の妄想してる感じです。洋平に限らず、別々の場所にいても、お互いをうっすら思いあいながらそれぞれの人生を歩んできたんだよなーという。
割愛した設定を少し開陳しますと、流川と木暮は某自動車メーカー、赤木は茨城の電気メーカー、三井は愛知県の機械メーカーの実業団チーム所属(三井のみ引退して同じく中部の女子大のアシスタントコーチに就任)。宮城のみ一足早く沖縄のチームでプロ選手としてプレーしている。流川と三井はA代表の常連、花道はNBA挑戦の兼ね合いなんかもあってA代表に数度呼ばれたが、いずれも戦績としてはふるわない。……などなど、まぁザファからW杯でバスケにハマったオタクの考えそうな妄想を語り出すときりがない。本当は他校の選手も出したかったけどもう収集が付かなくなりそうで諦めた。沢北は間違いなく第一線でご活躍だろうし、牧さんあたりは引退後協会の重役コース歩んでそうなので名前くらいは出しても良かったかも。
赤木は一度代表に呼ばれたことがあったが、花道はちょうどケガで参加できず一緒にプレーするチャンスをふいにしてしまった、みたいなしめっぽい描写を入れていたけどこれも割愛した。誰と一緒にやるか、選手は意外とそこまでこだわらず淡々としているような気がして。それでも花道の中には、高1のインターハイ3回戦の対愛和学園で一緒にコートに立てず、赤木の最後の試合を一緒に戦えなかったことへの悔しさはずっとあるのだと思う。誰だったか、勝って最高の思い出よりも悔しくて忘れられない試合が数えきれないと言っていた選手の言葉が記憶に残っていて、競技の世界に居続ける人の思考ってそうなのかもなと思う。高い目標も一旦達成してしまえばそれが当たり前の水準になって、できなかったときの悔しさの方が長く残るのかもしれない。
文庫化にあたって新たに「花道側の物語」の端緒となるイップスらしき症状を盛り込んだ。NBA挑戦を諦めて帰ってきた理由として、試合中に身体がうまく動かなくなってDリーグ(NBAの二部組織)でのプレーが難しくなり、おそらく契約が打ち切られたか条件が悪くなったのだろう。日本に帰ってとりまく環境は変わったものの、コートに立ったときの不調が練習中に現れるシーンだ。
この設定には言うまでもなく、NBAでメンタル不調に見舞われて帰国した渡邊選手や、Gリーグで長くNBAに挑戦してきた馬場選手の感じたプレッシャーの話が大きく影響している。同時に4章「P.N.R.」で洋平が感じた「絶対に泣き言を言わない」「強くなった」花道が、アメリカで「諦めたらそこで終了」にならないために頑張り続けた先に、こういう状態に行きつくかもしれないと考えた。能力主義・成果主義的なスポーツの世界に身を置く選手が強いられるもの、スラムダンクの二次創作でやるにはあまりにも場違いかもしれないとは思いつつ、W杯とBリーグを中心にしばらくバスケファンをやった身としては是非書きたかったんですけど…結局真正面から書くだけの胆力や調査力はなくて、匂わせ程度になってしまった。
(8)誰そ彼:34頁15,000字
全編通してこの章が一番難しかったかもしれない。なんせオリジナル要素が多すぎる。本当に無謀なことをした。
桜木花道に関すること以外で水戸洋平の人物像を想像するとき、私の中ではどうしても血縁者や親しい関係に女性の匂いを感じて仕方ない。例えば生まれ育ったのがシングルマザーの片親家庭だったり、年上の彼女の存在だったり。花道との結びつきの強さの背景には、父性や男きょうだいのような、庇護者というか目上の男が欠けているようなイメージがある気がしている。そんな洋平が花道不在の地元で家庭を持つとしたら、さらに子どもができたとしたら…この本を最後まで書く動機のひとつが「やりたいことを全部やる」ですから、難しい年ごろ娘のいる水戸洋平、見てみたいじゃないですか。
「結婚して子供のいる水戸洋平」、それはつまり「花道と添い遂げることが既成事実として決定的に不可能になった水戸洋平」でもある。洋平は家族を捨てたり不義理を働いたりするような人間ではないだろうから。この縛りがなかったら、帰国した花道と洋平はどうなっていただろう。逆に言えば自分はなぜこの縛りを引き続き採用したのか。
この話の洋平は決して裕福でもなければ学歴もない元ヤンながら、(ブルーカラーとして)堅実に、極めて規範的な生き方をしている。保険屋のモデルになりそうなくらいに。もしこれとは全く別の花道と一緒に生きる道があったとしたら、それはきっと規範とはかけはなれた人生になっていたに違いない。夢見た「もしも」と現実の差は大きく、経過した時間は不可逆で、子どもの存在はその象徴でもある。
一方で洋平は確かに家族を愛している。大人になりはじめた娘の行動に振り回されながらも過去の自分を重ねるそぶりを見せ、バイクの後部座席に乗せるのはもう花道ではない。
「青の幽霊」では娘(ひかる)目線の一人称だったものを、文庫化にあたって洋平目線に書き直した。章のはじめと終わりに職場での様子も追加。働く洋平はどうしたって萌え萌えなので作業着とスーツを着て、ついでに面倒な客に手を焼いてもらった。出張帰りの新幹線でくたびれた洋平のもとに、花道の元カノからSMS経由でDMが届くシーンで終わる。Facebookの通知の仕様やらガラケーの画面やら(iモードのアイコン!)、調べていて懐かしさのあまり卒倒しそうになった。洋平、絶対何度もセンター問い合わせしてたでしょ。
タイトルはヒカルの洋平への疑念と、黄昏時を合わせて。
(9)まつろわぬものたち:34頁8,000字
これも「やりたいこと全部乗せ」の一環。
バスケ追っかけてる間ずっと、好きな選手への雑誌の特集みたいな長編インタビューを妄想して遊んでいた。やりたかったんですよ、ちょっと踏み込んだ長めのインタビュー。過去に出した二次創作で、彩子がバスケ雑誌(雑誌のモデルはダブドリ)の記者になっている設定があったのでそこと繋げて、選手としての花道と流川の過去とこれからを見渡すような章にした。ここだけ浮いているといえばそうなんだけど、洋平が徐々に近づきつつある花道の核心部分は一度脇において、花道がどういうつもりで13年やってきて今帰国したのか、日本のプロリーグで何をしたいのか、そういう部分を第三者の目から描いたつもり。一人称がころころ変わるのはあんまり良くないような気もするけど、この前後が若干じっとりした雰囲気なので書いてる分にも気分が変わって楽しかった。
流川と花道が同時期に留学できたとして、その後どうなるかは本当に色々想像の余地があって難しくも面白い。同時に現実世界の”史実”、つまり田臥さんが初めてNBA選手になって、そこから花道や流川のようなフォワード寄りの選手が活躍するには実に渡邊雄太や八村塁を待たなくてはならなかったこととどう折り合いをつけるかという問題もある。ここでは花道や流川はまだNBAには”早かった”という、現実に即した形のストーリーにした。流川はある意味の賢さでもって、早めに見切りをつけて日本に戻ってくる。対して花道はと考えると、どうしても途中で帰ってくる気がしなかった。人好きのする花道のことだからきっとアメリカでも周りに愛されて楽しく毎日を送っていたはずだ。日本の洋平たちのように、花道の挑戦をそばでずっと支えてくれる人もいたかもしれない。日本よりも向こうの方が水が合っているような語りも入れている(実際花道のような人にはそうだったに違いない)。さらに付け加えておくと、この世界では花道の赤い髪は「不良になってから染めたものではない」のだ。そうなってくると、仮にバスケがだめになったとしても花道が日本に帰ってくる理由は見つからないようにも思える。
帰国の理由を花道本人がはっきり語ることは結局なかったけど、エピローグで少しだけ答えを口にしている。
(10)ブルーアンバー:33頁15,000字
半年かけてやっとこさたどり着いた最終章、長かった…
シーンはOB会、墓参り、ラストの海。踏み出せない洋平の背を彩子と軍団が押し、花道が自己開示し、洋平が気持ちを伝えるという大変ありがち、もとい王道の展開。やりたいシーンを詰め込むことと話の幕引きの両立に悩んだ結果この形に落ち着いた。
まずはOB会。毎年お盆に湘北のOB会があって、その会場は高宮の切り盛りする店。前の章のインタビューが載った発売前の雑誌をめくりながら、みんなでわいわいシーズンの幕開けに胸を膨らます。いや~やりたい放題、楽しい妄想である。晴子と彩子というふたりの女性キャラは、高校の頃から二人の間柄をすぐ傍で見てきた、いわば洋平のエスコートランナーだ。時間の経過とともに、洋平と同じく晴子もまた子持ちの主婦という花道たちとは隔絶された世界で生きており、「また一緒に応援したいね」という言葉を洋平にかける。晴子は高校時代から「応援する」立場を洋平と共有している。プレーする側と応援する側がどう影響しあい関わっていくかというのはもう少し掘り下げたいテーマ。本当に晴子にいろいろ背負わせ過ぎたので、どこかで晴子の物語の続きもなんとかしたい。
洋平が一歩踏み出す最後の一押しは3バカに担ってもらった。洋平をラストに向けてどう動かすか少し悩んだけど、高校時代からいろいろ見てきた三人がここで動かないわけないのでおのずと流れが決まった。このパートのテンポは少し速すぎるしあんまり描写もうまくないなーと読み返して思うけど、ここまで来たらもう勢いだった。読みづらかったらすみませんですが…。
花道は隠しているというより自己開示の機会を探していると言う方が近いと思う。けれど洋平からすれば隠しているように見えるだろう。花道は洋平に事細かく事情を説明する必要はないし、高校時代からそういう言葉でのコミュニケーションは得意ではなかったと思う。なので「告白の場に同席してもらう」という形にした。花道は安西先生に対して、つまりバスケに対してのけじめはつける必要があっただろうから。
父親の墓前でふたりが語り合うシーンはよく見かけるので、ここでは少し捻ってみた。ただ安西先生の墓は二次創作としては少しやりすぎというかショッキングだったかもしれない。これを書くのはある種の思い切りが必要だったけど、13年後ならというのと、花道を「強さから降りられなくした」構造のシンボルとして安西先生との対峙はやりたかった。「諦めたらそこで試合終了」は、花道をずっと鼓舞してきた言葉でもあり、呪いでもある。NHKラジオ第一の『ラジオでスラムダンク!』で佐々木クリスさんのコメントを聴いたときから、花道の人生の話をやるならこういう使い方になるだろうなと思っていた。
最後の夕陽のシーンは非常に月並みなシチュエーションになった。けれど花道が帰ってくるのはやはり海なのかなと思うし、過去編の最後との対比にもなっている。かれらにとって海がどういうものなのか、私は日本海の人間なのできっと若干感覚が違うのだろう。いつか湘南の海にも行ってみたい。13年かけてまた並んで海に向かうふたりの変わるものと変わらないもの、言葉にされたものとされなかったもの、そういうものを美しく描きたかった。感情や言葉をどれくらい抑えるか悩んだが、自分の中ではやりすぎないギリギリのラインに留められたと思っている。身体的な接触は極力やらない方針で、ここも握手のみにするつもりだったのに気付いたら洋平がハグしてしまいました笑。
それぞれに後悔は残っても、希望のあるラストとして受け取ってもらえたら嬉しいです。
ここに書いたようなことがお話からちゃんと読み取れるか、それ以前にストレスなく最後まで読めるものになっているのか、紙になった今も何度でも不安になってます。私のようなろくに本も読まなければ長い物語を書くのも初めての人間に十分なスキルがあるはずもなく、でも書きたいことだけはあった。今は自分が書かないと終わらない話がどうにか終わってほっとしている。面白くないかもだし、スカッとしないしエロくもないし幸せばかりでもない話だけど、間違いなく自分にしかできなかったことだ。
2025年の私がやりたいことをやった証として、この文章を残します。