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青の幽霊(1)

1996年4月末 15歳

 大楠とはあのころ一度、殴り合いのけんかをしたことがある。

 高校でこそ「はなみっちゃんたちは仲が良くてほほえましいくらいだ」とか 「見た目は怖そうだけど案外悪いやつらじゃない」とか言われるようになった洋平たち5人、 通称”桜木軍団”だったが、仲間内のけんかはそりゃもう大小数えきれないくらいしてきた。 なにしろ中坊になりたてからの付き合いで、みんな本当にどうしようもない悪ガキだったから。 出会ったばかりの頃は力関係の探りあいみたいな小競り合いが絶えなかったし、 つるむようになってからも筋を通すの通さないの、つまらない意地の張りあいで何度も殴り合いになった。 花道はキレて手が付けられなくなることがままあったし、 野間と高宮相手のじゃれ合いがいつの間にか冗談じゃなくなっていたこともある。 軽そうに見えて案外頑固なところのある大楠は意見の対立からけんかに発展したことが何度もあって、 今思えば一番けんからしいけんかをした相手だった。 洋平個人は不良同士の主導権争いみたいなのは心底つまらないと考えていたものの、 そうは言っても不良文化の中で純粋培養されて育ったような奴らの集まりだったから、 はじめはとりあえず作法にのっとってやってみる他に方法を知らなかったのだと思う。

 そういう不毛なことをしなくたって「大丈夫」なのだと理解できたのは、 出会ってからそれなりの時間を経てお互いの腹の内がだいたい分かるようになってからで、 そこから先は兄弟同然と言うとちょっと違うけど、友達と呼ぶにはいろんなことを共有しすぎてしまってる、 お互い悪友とか腐れ縁としか呼べない不思議な間柄になった。 そろって最寄りの公立校に進学する頃には、彼らの誰もが本気の喧嘩に発展した記憶なんてもうほとんど思い出せないくらいで、 だからその場に居合わせた野間と高宮も、実のところ洋平自身も内心驚いていて、 余計拳の納め方が分からなくなったところがある。

 それはまだ高校に入学してひと月かそこらで、花道がバスケをはじめて間もないころだった。
 その日は陵南との練習試合で、それが花道にとって生まれて初めての試合だった。 負けたけど、ひいき目無しに湘北バスケ部の見どころのある良い試合だったと思う。 陵南の選手たちも強豪とあって上手かったがそれだけでなく、プレイが派手だし気持ちが入っているのが分かって面白かった。 ドシロートの花道をひやかしに行っただけのつもりが、洋平たちの応援にもいつしか熱が入って、 試合終盤で花道が見事にシュートを決めたときにはみんなで飛び上がって喜んだ。 その喜びは、パチンコで大当てした時ともゲーセンで大物を釣った時とも、 もちろん喧嘩に勝った時の気持ちとも全然違っていて、そんな風に何かを喜び合うのも、 それがコートの上に立つ花道によってもたらされたことも、なんだか不思議な初めての感覚だった。

 その日唯一の、そして花道の生涯最初の得点は劇的な逆転シュートで、しかも赤木晴子直伝のきれいなレイアップだった。 晴子とマンツーマンで朝練したのだと鼻の下をのばしていたが、教えてもらったことをしっかりモノにするのはさすがだった。 彩子に叩き込まれたドリブルもゴリに特訓されたリバウンドも、ちゃんと試合で実践できていた。 はじめこそ右手と右足が一緒に出るようなありさまだったけど、 足もとのボロボロの体育館シューズが不似合いに見えてくるくらいには、花道はちゃんとバスケをやれていた。 最後の数秒で再度逆転を許して僅差で負けたのをしきりに悔しがっていたが、 この試合でしっかりと才能の片鱗と練習の成果を見せたと言っていいだろう。 後の天才バスケットマン誕生の日として記念日に制定しよう、などと本人もいつか言っていた覚えがある。

 試合後の片付けやら挨拶があるという部員たちを置いて、桜木軍団の面々はひと足先に晴子たちとともに帰路についた。 キャプテン赤木の妹である晴子ちゃんとその友達の松井さん・藤井さんといういつもの3人組とは、 花道の練習を見物するうちに顔なじみになっていたが、学校の外で顔を合わせるのはその時が初めてだった。 序盤ガチガチだった花道の珍プレイを思い出して一緒に笑ったり、 仙道や流川、赤木の凄いプレイについて興奮気味に話しながら、原付を押して最寄り駅まで歩いた。 ついこないだまでは洋平たちへの警戒心を隠さなかった松井さんと藤井さんも、 この日は試合の興奮もあってかずいぶん打ち解けた雰囲気になった。 藤井さんなんかは、花道を見て感動しちゃったらしく帰り道で何度も涙ぐんでいたくらいだ。 (松井さんに呆れられている藤井さんに、洋平が気持ちわかるよと同意を示すとちょっと赤くなって黙ってしまった。 それを高宮たちにひとしきり冷やかされて洋平の蹴りが飛び、その時だけは藤井さんの表情がまた固くなって焦った。)

 赤木晴子とはそれまでちゃんと話したことがなかったが、ガラの悪い不良たちにも同性の友達と同じように屈託なく接し、 花が咲くみたいにぱっと笑ういい子だった。晴子は花道の「庶民シュート」の成功を誰よりも喜び、 スピードやジャンプ力がいかに凄いかを熱弁した。その場にいる中で唯一のバスケ経験者とあって、 その日の試合のポイントについて身振りを交えながらみんなに教えてくれた。 陵南ベンチにもひとりコテコテの関西弁でしきりに騒いでいた部員がいたが、 バスケを語る晴子は彼に劣らず生き生きとしていて、それまで洋平が抱いていた普段のおっとりした印象がかなり変わった。 明るくていい子で、おまけにバスケが大好きだ。花道をバスケ部にスカウトしたのが晴子で良かったなと洋平は思った。

 晴子たちとは駅前で別れ、来た時と同じように洋平の原付バイクにみんなして無茶な乗り方をして帰った。 途中の坂道でエンジン周辺が恐ろしい音をたて始めたので、そこからは強制的に洋平以外の3人をかわるがわる下ろして走らせた。 そのペースに合わせてゆっくり転がす原付のひび割れたサイドミラーの中には、 背後から追いかけてくる太陽と一緒にヒィヒィ喘ぎながら小突きあって爆笑する仲間の姿が映りこんで光っていた。 こんなに走って、天才スポーツマン桜木のおかげで俺たちみんな健康になっちまうなぁ、と野間が笑った。 高宮なんか、こんなヘロヘロで朝より2キロくらい痩せてるんじゃないか? 休みの日と言えばパチンコに寄ってタバコふかして、よその不良に絡んだり絡まれたりしてばかりいるのに比べたら、 確かによほど健全に違いなかった。健全すぎて洋平には、今日のような一日が自分たちに似合っている自信が全然なかった。

 湘北の校区に着くころにはみんなすっかり腹を減らして、いつものファミレスに寄ることになった。 その店はちょうど家までの帰り道にあったから、学校で解散になった花道もあとで合流してくるだろうという算段だった。 重量オーバーに耐えきった健気なピンクの原付を停めて、今日は花道をねぎらってやらんとな、 じゃあお前がおごれよなどとがやがやしゃべりながら店先の階段を上りかけたとき、ふいに大楠が言った。

「しかしよぉ洋平、すっかりバスケに花道とられちまったな?」

 いいのかよというふうに、試すような口ぶりで尋ねてきた大楠の声を背中で聞いて、 気づいたら反射的に殴っていた。段上から振り向きざまに殴ったので思いのほか勢いがついてしまって、 大楠は軽く吹っ飛んで後ろにいた高宮の上に倒れこんだ。 下敷きになった高宮のぶぇっという間の抜けた声と、何やってんだ洋平という野間の狼狽えた叫びが耳に入って、 勝手に大楠の右頬に飛んでいった自分の握りこぶしと、向こうで折り重なって呻いてるあいつらの姿を眺めた。 そこだけ録画したみたいに、十何年たった今でもはっきりその光景を思い出すことができる。 もう日はだいぶ傾いて、海から夏を予感させる気持ちいい風が吹く夕暮れ時だった。 仲間の間に満ちていた試合後のすがすがしい高揚感と、 それと裏腹に腹の中でぐるぐる渦巻いて少しも収まらない不合理な気持ちの間で、洋平は悪酔いしてるみたいな最悪な気分だった。

 数秒の間放心状態だったらしい洋平の胸倉に、やっと起き上がった大楠が 「いきなりキレてんじゃねぇよ」と怒鳴りながらつかみかかってきて、そこからひとしきり揉み合いになった。 「平気なふりしやがって」とか「そのすましたツラがムカつく」とか、殴りながら大楠は罵声を浴びせた。 洋平がそんな大楠の姿を見るのはずいぶん久しぶりだった。 お前だって実はちっとも良くなかったんじゃねーかと思ったが、構わず無心で拳をふるった。 相手が大楠だって他のやつらと喧嘩するときと同じだった。 不満があるなら自分で言えよとか、大事なこと全部俺に決めさせようとするなとか、 浮かんでくる言葉はいっさいがっさい頭の外に追い出して、 そうすると洋平は痛みも何も感じずに相手をぶちのめすことだけに集中できた。 相手を殴りつけるたびに赤くなる拳の関節も、噛みしめすぎて血の味がする口の中も、別にどうってことはなかった。
 大楠の方が上背がある分、遮二無二つかみかかられると体制が崩れて、 引きはがそうとする野間と高宮を振り払いながらふたりもつれあって地面に転がった。 途中で自分でも何に腹が立っているのかわからなくなって急にやる気を失ったら、 みぞおちへ一発きつめの蹴りを入れられて、それで唐突に終わりになった。 最後の一撃は大きめの青あざになって残り、しばらくのあいだ風呂に入る時なんかにじわじわと痛んだ。

「…お前が言えないみたいだから代わりに言ってやったんだぜ」
 そう言い捨ててふらつきながら立ち上がった大楠と、洋平は目を合わせられないまましばらく地面に伸びて、 身体中の血が熱くなってどくどく循環する音を聞いていた。 ファミレスの駐車場から見上げた空は相変わらず気持ちよく晴れていて、きれいな桜色に染まっている。 後頭部にごりごりしたアスファルトの凸凹を感じて、こりゃ髪型が崩れまくっただろうなと大楠の頭を見上げると そちらもひどいものだった。そのぐちゃぐちゃの髪に増してひどい顔で大楠がじっと見下ろしてくるものだから、 なんだかおかしくて洋平は少し笑った。なんで俺と大楠が殴り合ってんの、ばかみてぇだな。 大楠も野間も高宮も全然笑わなかった。 休日夕方のファミレスには遠巻きに人が集まりだしていて、間もなく洋平たちは物も言わずにその場から退散した。

 その日は本当にいい日だったのだ。 負けたけど花道はいい試合をして、初めて自分でシュートを決めた。 バスケットマン桜木にとって紛れもなく祝うべき一日だった。

 それなのに、ちっとも良くなかったし平気でもなかった。 洋平はそれを言い当てられてキレただけの、みっともない15歳のガキだった。

 だから翌日、素直に謝ることにした。
 昼休み、曇り空だがなんとか雨は落ちてこなさそうといった空模様だったので、ひとりで屋上へ向かった。 もはや示し合わせてもいないがそこにはいつもどおり大楠と高宮と野間がいて、洋平は3人に向かって昨日は悪かったと伝えた。 大楠はこちらと目を合わせなかったものの、自分も言い過ぎたとぶっきらぼうに返した。 野間は誰かがポリ呼んでたみたいだぜ、ヤバかったなと何故か楽しそうに言い、 洋平がキレたの久々に見たな、相変わらず導火線短くて安心したぜなどと言って高宮は面白がった。 (高宮たちと出会って間もないころ、洋平にはよくわからないところで突然キレるという悪評があった。 それを言うなら大楠の方こそ昔は狂犬とか物騒な呼び名で呼ばれていたのだ。)

 それでおしまい。屋上はすっかりいつも通りだった。 仲間内のこんな喧嘩は、不良にとって他の奴らとやり合うための練習試合みたいなものだ。 それが”俺たちの普通”だった。どうってことない。 何もおかしいところはないし、これまで通り変わらずやっていけるはずだ。 今朝だっていつも通りに花道を茶化して、みんなで仲良く頭突きを食らった。俺たちはずっとこうだ。だよな?

 洋平の中には着実に、花道の高校生活がバスケ一色に塗り替えられていく予感と、そのことへの焦燥が育っていた。 たった数週間前のバスケとの出会いから花道の毎日は一変した。 ほとんどすべての時間をバスケに費やすようになって、頭の中だっていつもバスケのことででいっぱいだ。 おそらく生まれて初めて夢中で何かに打ち込んでいるその姿は、長い付き合いの洋平たちでなくとも、 藤井さんのような人が思わず感動してしまうくらい、誰が見たって眩しく輝いている。 それは例えば、一緒に学校をフケようとしたのを教師に見つかって逃げたときとか、 原チャをノーヘル2ケツでサツに追いかけられたのをうまく巻いたときとか、 ここらで一番デカい不良グループを5人で全滅させたときとか、そういう時に隣から眺めた花道よりもずっとずっと。

 そして陵南との試合を見に行って感じたのは、キャプテンの赤木はじめ、 普段なら花道のような不良にはまるっきり縁がなさそうなバスケ部の真面目な部員たちも、 (口ではいろいろ文句を言いながらも)明らかに異質な赤い髪の大男を受け入れてくれたらしいことだった。 花道にそういう「ちゃんとした」居場所ができつつあることは、間違いなく喜ばしいことだ。その気持ちには一切嘘はない。 しかし同時に洋平は、花道にとって自分たちがもはや無用の―――、 無用どころか足を引っ張ることさえあり得る存在なのではないかと、先回りして考えずにいられなかった。 そんなこと口が裂けても言わなかったけれど、当然大楠たちもそれを感じ取っていただろう。

 不良グループの「お作法」ならそんな仲間をどう扱うか、当然みんな知っていた。 それに従ったとしても花道は何も言わずに離れていくだろう。 俺たちはそんなちゃちな関係じゃないって、半分は本気でそう信じていた。 でも残りの半分で、友情とかいうなんの契約も約束もない信頼関係が、 証明し続けることでしか持続しないことも分かっていた。 こうしていつまでもふざけて無茶やって今までと同じようにやっていける、そんな約束された関係がどこにあるんだろう。 これまでだってそうだ。俺たちはたまたま3年かそこら一緒につるんでただけの気の合うツレに過ぎなくて、 生活が違えば離れていく、それだけだろ。

 選択授業が長引いたせいで購買のパンが少なかったとこぼしながら、少し遅れて花道がやってきた。 洋平はいつも通り出迎えたつもりだったが、屋上の微妙な空気を敏感に感じ取ったのか 「なんかあったんか」と尋ねてきて、一瞬みんな息を飲み込んだ。 洋平も大楠も、おそらく無意識に見える場所を殴るのを避けていたようで、はじめに洋平が殴った大楠の口元だけが少し切れていた。 それ以外の痕跡はほとんど服の下に隠れていたから、喧嘩したのは見た目じゃ分からなかったはずだ。 花道は粗暴に思えて意外と、こういう場面のわずかな機微を感じ取る繊細さを感じさせることがあった。
 「べつに」と、洋平が口を開く前に大楠が答えたので、洋平も「お前が気にすることじゃないよ」と続けた。 ふーん、と花道はふたりの顔を交互に見てから納得してなさそうに唸り、 だけどそのまま洋平の隣にどっかり座り込んだ。 腹を減らした花道は購買の焼きそばパンを開封して早速ひとくち、ふたくちとほおばる。 それは見る間に消えてなくなって、空いた方の片手は早くもビニール袋から次のパンを取り出している。 洋平は次から次へと手品みたいに消えていくパンを見守って、見守りながら、 やっぱり自分はこうして花道に置いていかれるのだという気がして、胸のざわつきがまた大きくなった。

 日々目に見えて変わっていく悪友の姿は、ただ眩しいだけではなかった。 自分たちと同じではなくなっていく花道をどうすればいいのか洋平にはまだわからなくて、 やり場のない苛立ちが澱のようにたまっていくのに任せるほかなかった。

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