青の幽霊(2)
2012年5月中旬 31歳
土曜日の午前中、水戸洋平はいつも風呂掃除をする。
くすんだ水色をしたLサイズのゴム手袋を両手にはめて、浴室の端のコーキングに点在するカビを取り、湯舟の蓋の凹凸や手桶の汚れをブラシで落として、アイボリーの樹脂でできた床の溝にうっすらこびりついた赤い水垢に重曹をふりかける。毎日入浴の前に簡単に湯舟を流すのとは別の、少し時間をかけて行う”ちゃんとした”風呂掃除だ。毎年この時期になると小さい脚立を持ち出して、天井の結露の跡も綺麗にふきとる。少し気を許すとたちまち転々と黒いカビの粒が見えるようになるので、先回りして対処しておいた方が良い。何種類か常備されたシャンプーの類の減り具合を確認するのも忘れない。夏場ともなれば風呂場の中がむせ返ってすぐに汗だくになるけど、この時期ならまだ、しゃがみこんで床を擦るのも大した重労働ではない。
それはもう10年近く続けている習慣で、すっかり洋平の役割として定着している。断っておくともちろん休日の風呂掃除だけというわけではない。夜寝る前に洗濯を干すのが日課なら、炊事だって半分くらいは洋平が担っている。高校生のころから飲食店でのバイトで厨房に入らせてもらっていたこともあり、食事を作るのは結構好きだし洗い物だってそんなに苦にならない。水戸さんって本当にマメな旦那さんですよねぇ、なんてやっかみだか呆れてるのかわからない評価を同僚から受けることもあるが、こっちとしては必要だからやってるだけで、そういう雑事は生きていればあたりまえに日々発生し続けるから、目につく端から淡々と片づけていく方がいい。
掃除も炊事も、それ自体がまるで生活そのものの縮図みたいだと洋平はよく思う。あるいは逆に、炊事や洗濯や掃除が延々と積み重なったものを生活と呼ぶのかもしれない。どっちにしても家事と生活は終わりのない入れ子の関係になっていて、こうして無心に手を動かしていると、無限に広がるフラクタルの先端に迷い込んでいくみたいな、なんとも平坦な気分になる。一日、ひと月、1年という小さい区切りはあっても終わりなんかないし、なにかしら目的地があるわけでもない。食べて寝て、働いて生きるために毎日繰り返す、目的なのか手段なのかわからない止まらぬ営みだ。若いころは連綿と続いくその「変わらなさ」がどうしようもなく嫌だったこともある。けれどそれはいつのまにか肌に馴染み、生まれたときからずっとこういう暮らしをしてきたのではないかと錯覚するほど当たり前になっていて、今では案外向いているのではないかとさえ感じる。こういう至極”普通”で”まとも”な日常を送ることになろうとは、昔の自分が知ったらどういう顔をするだろうか。
磨き終わった床をシャワーで流しているとふいに口寂さを感じて、洋平は久々にタバコが吸いたくなった。特段頑張って禁煙したわけでもないが、あれだけたくさん吸っていたものがすっかり要らなくなって久しい。35年ローンの持ち家を手に入れてから、新居の壁やカーテンを汚さないためにベランダで喫煙するようになり、冬の寒さで足が遠のくうちになんとなく禁煙できてしまっていた。もともと別に好きで吸っていたわけでもない。吸い始めたのがいつだったかも覚えていないが、嗜むようになるとなんとなく不良っぽくて格好がつくし、一時期よく通っていたパチンコ屋から持ち帰る景品としても適当だったので、惰性で吸い続けていたに過ぎない。入社したころには皆揃ってタバコ休憩が当たり前だった職場が、時代変わって健康促進のために禁煙を推奨しはじめたのとちょうど重なって、思いがけずご褒美の商品券までもらえてしまったのだから儲けものだった。こんな風に吸いたくなるのは久しぶりだが別に誰かに禁煙の誓いを立てたわけでもないので、もしこの欲求が続くようなら、後で会う予定の野間あたりに1本貰うことにしようか。
それにしてもいまいち実感が湧かないせいか気持ちは凪いだままで、いつもと同じように粛々と風呂掃除をしているのが不思議な気がする。数時間後に自分がどんな気持ちでいるのか全然想像つかないが、いい歳してこの日を指折り数えていたのは確かだった。午後、久々に大楠たちと集まる約束がある。それだけなら特段珍しくも何ともないけれど、今日はいつもの見飽きた顔の他にもう一人、長年待ち続けた―――待ちすぎてもう会うことがないような気さえしていた相手と、再会することになっている。
*
桜木花道が日本に帰って来る。
洋平がそれを知ったのは先月の週末、街の桜がすっかり葉桜に変わってしまった頃だった。そのニュースはSNSを介して瞬く間に仲間内に広がって、ちょっとした騒ぎになった。机上のPCモニターに映る「湘北バスケ部OBOG会」と銘打たれたコミュニティの掲示板には、普段の閑散とした様子が嘘のように活発な書き込みが続いている。
発端になったのは宮城リョータの書き込みだった。
『そういや水戸、花道がこっち帰って来るのっていつよ?』
仲間内の恒例になっている年に数度の飲み会へ向けてそろそろ調整を始めようと始まったスレッドに『せっかくだから花道の帰国祝いも兼ねてやろうぜ』と連投されたメッセージは、洋平の頭に全く入ってこなかった。
風呂上りにたまたまメールでもチェックしようという気になって自宅のノートパソコンを立ち上げ、これもたまたま気が向いてブックマーク欄に並ぶSNSを開いたところ、幸か不幸か洋平はリアルタイムでその投稿を目撃してしまったのだ。完全に真っ白になった頭で呆然と眺める画面上には、『それマジか!?』『ついに!』『やったー!!』と、喜び爆発といった顔文字付きの歓迎の言葉が次々に重なっていく。
『帰国はいつなの洋平くん?』『早く教えろよな水くせえぞ』と身に覚えのない催促が飛んできて、それでやっと正気に返った洋平は、年季の入った有線マウスを握りなおした。花道のことなら何でも、試合の得点やリバウンド数の話からバッシュのかかとのすり減り具合にとどまらず、それこそ家の冷蔵庫にある牛乳の銘柄とか、足の爪を最後に切ったのがいつだとか(裸足で靴をはく花道はよく足の爪をはがした)、そういうことまで洋平がなんでも知っているはずだという先入観は、高校時代を共にした誰もに共有されていた。
だが今大方の予想に反して、洋平にとってもまたそのニュースは全くの寝耳に水だったのだ。
『いや、まさか水戸も知らなかったとは。驚かせてスマン』
『うちのコーチから聞いた話なんだけど、ほぼ決まりだって。来シーズンからこっちでプレイしたいって本人から打診があって。本部が興味のありそうなクラブと事前調整してる』
『一応まだオフレコな。それでまだ水戸たちにも言ってないんじゃないか』
いや宮城さん、俺も初耳でと短く返した洋平に対し、やや申し訳なさそうな様子が伺える文面が次々に返ってきた。宮城のこういう、律儀というか親しい間柄でも気遣いを忘れないところは昔と少しも変わらない。洋平たちかつて”桜木軍団”と呼ばれた面々は、彼がキャプテンの代には半ばマネージャー補佐みたいな感じで、時にはシュート練習の球出しを買って出たり荷物運びや買い出しに奔走したりとサポートに勤しんだものだが、細かいことによく気の回る宮城の部長としての手腕は見事なものだった。赤木とは全然タイプの違うキャプテンだったが、洋平は昔からそんな宮城を結構買っていて、宮城のほうも何かと頼りにしてくれているようだ。
『宮城お前、桜木とは直接連絡してないのか?』
『まだっす。俺も昨日聞いたばっか』
『桜木くんが帰って来るならちゃんと歓迎会しなきゃですね!!』
『帰国自体何年ぶりですっけ。もうずいぶん帰ってきてないですよね』
『てかあいつ、歳は29?30だっけか』
『今年31になったとこでしょ。花道、体力バケモンだからまだまだいけるって』
宮城に続き三井寿、赤木晴子(今は苗字が変わってしまったが)というこの掲示板では常連組の3人に、桑田、石井といった懐かしい面々が参戦してますますにぎやかになっていく会話を横目にしつつ、洋平は急いで別のブックマークを開く。青色のアイコンをクリックして現れたログイン画面にもどかしくパスワードを打ち込むと(入力を2度間違えて思わず舌打ちした)、ややあって表示された画面右上には通知を示す赤いマークがついている。心臓あたりが一層ざわついたものの、クリックするとその数件はいずれも花道からのメッセージではなかった。残念なのか安心したのかよくわからない気持ちのまま息を吐いて、いつものクセで花道のホーム画面へと飛ぶ。確認するまでもなく、やはりメッセージは何も届いていない。先月なかばの、日本からの荷物が届いたという礼を伝えるやりとりが最後だ。HanamichiSakuragiのホーム画面トップは相変わらず、2年ほど前のトライアウトの写真が最新の投稿として表示されたままだった。
『Tomorrow's the first day of tryouts. you can bet I'm gonna give it my all, no doubt!』
練習中のコートサイドと思しき風景をバックに、同じ所属の選手と肩を組んで笑っている。チーム名がプリントされた練習着から覗く首筋にも、短く刈り込んだ毛先にも粒になった汗が光っていて、洋平は、バッシュが体育館の床を擦る音やバスケットボールのゴムの匂いをありありと思い起こすことができた。
Occupation: Professional Basketball Player
Residence: Springfield, Massachusetts
職業:プロバスケットボール選手、居住地:マサチューセッツ州スプリングフィールド。それ以外、出身地どころかバスケット選手としての経歴の一切が見当たらないプロフィール欄は簡潔すぎたが、花道にとってはそれですべてなのかもしれないなと洋平は思う。自分がどこから来たかとか、前どこでプレイしていたとかは、今と並べて書くようなことじゃないんだ。薄情とか言われるようなことじゃない。あいつはそういうやつだから。英語のニュアンスは分からないが、決まって短文の投稿からはいつも意気込みと緊張感が感じ取れる。高校生の頃は日本語もちょっと独特だったけど、花道の喋る英語はどんな風に聞こえるんだろうか。
ようやく少し落ち着きを取り戻してOB会の会話に戻ろうとした矢先、部屋着のポケットに突っ込んでいたケータイがぶるぶると震え出して、洋平は思わず椅子から立ち上がった。
「…もしもし?」
「おい洋平!見たかmixi!?リョーチンが!!」
電話の主は高宮望だった。とっさに高宮久しぶり、などと口走ってしまい、いや久しぶりでもないかとひとりごちたが、興奮した口調の高宮は気にも留めず即座に続ける。
「花道が、花道が帰って来るってよ!聞いてたかお前!?」
毎年だいたい夏と年明けにやるバスケ部OB会の集まりは、高宮が店長として切り盛りする居酒屋で開催するのが通例になっていた。赤木の代が大学を卒業した年、彼ら3人の就職祝いを兼ねて大々的に集まろうと宮城が声をかけて、ちょうど調理師免許を取りたての高宮が自分の働いている店を貸し切ることになったのだ。そういう事情もあって、OBOGではない洋平たち”桜木軍団”は花道渡米後も変わらずこのコミュニティに参加し続けているのであり、全員県下で生活しているとはいってもそれぞれそれなりに忙しくしている桜木軍団の同窓会を兼ねることにもなっていた。唯一不在の花道を除く形でではあったが。
洋平も何も知らなかったことを告げると、高宮は「やっぱそうかぁ」といささか拍子抜けしたように、少し残念そうにつぶやいた。背後には店内のざわめきがかすかに聞こえる。まだ閉店前の時間のはずだから、SNSを一部分だけ読んで急いで連絡してきたのだろう。もしかすると子どもと一緒に家にいる嫁さんが見つけて、慌てて連絡してきたかもしれない。
高宮は花道がバスケ留学して以降、定期的にこちらの食材やら雑貨やらを詰めた通称”高宮便”を送り続けていて、最近も花道の誕生日に合わせ、業務用の醤油やフリーズドライの味噌汁に洋平たちからの手紙や品物も加えたデカい段ボールを送ったばかりだった。後日花道からはfacebookに荷物の礼と短い近況報告が届いたが、そこで帰国について触れられることがなかったのは高宮たちも知っている。急に決まったのか契約の関係で言えなかったのか、もしかすると何か事情があるのかもしれないが、こういう時に何も感じずにいられるほど今、花道と自分たちの距離が近いわけではない。電話越しに洋平と高宮の間に流れた一瞬の沈黙が、ふたりの共有するわずかな寂しさを明るみにしたような気がして、洋平は意図的に思考を切り替えた。
「とにかく俺から連絡してみるわ。宮城さんからは聞きにくいかもしれないしさ」
そんじゃ頼むわとほんの一言二言の会話だけで電話は切れた。こんな風にそっけなくてもお互い気にならない気安さは、もう20年近くの付き合いになる関係ならではだ。高校卒業後もそれぞれ地元近くに生活圏を置く高宮、大楠、野間の3人とは、ありがたいことに声をかければその晩飲みに集まれるし、一を言葉にすれば十伝わるような関係がずっと続いている。
気をとりなおして洋平がOB会の会話に戻ると、そこでは帰国後の花道の所属先予想に花が咲いていた。ずいぶんと気が早いが、みんなそれだけ待ち望んでいたということだろう。かつては酒の肴にアメリカでの花道の戦績から去就の予測までわいわいと話し込んで、おかげでみんなDリーグに詳しかったものだが、それも一昨年花道が2度目の挑戦となるNBAのトライアウトに落ちてからというもの下火になっていた。
『宮城さん、花道には俺から連絡してみますんで』
『そうか。じゃあ忙しいとこ悪いけど頼むわ』
『花道にもその方がいいだろうしな。赤木たちにも言っとくわ』
『お兄ちゃんにはもうメールしましたよ!』
『早っ。じゃあ流川は赤木から伝わるかな。木暮には電話しとこ、あいつここ全然見てねぇだろ』
この分だと今夜中には全員に広まることになりそうだ。花道帰国のニュースを歓迎してみんなが浮足立っている状況には、やはり面はゆいような嬉しさが湧き上がってくる。そんな自分にいつまで身内づらしてんだよと心の中で突っ込んだとたん軽く傷ついたような気持ちになった。さっきから感情の置き場が分からなくて困る。
考えてもどうにもならないことに思考がとらわれるのが嫌で、いっそさっさと連絡してしまおうと早速ダイレクトメッセージをひらいた。宮城曰くオフレコだということだったが大丈夫かと少し心配になったが、現所属が海外チームならそれほど問題にはならないのかもしれないと思いなおし、キーボードに向かう。
宮城のツテから情報がもたらされたということは、花道は実業団ではなく、プロリーグで所属先を探しているということだ。宮城リョータといえばアメリカ留学を経て国内プロの一部リーグにポジションを得、そのプレイスタイルと実力、加えてコート外でのファンサービスも相まって今や人気実力ともまずまずの立派なプロ選手だったが、こうして昔の仲間とは変わらない付き合いを続けていて、卒業生たちに声をかけてこの会を始めたのも宮城だった。彩子との接点をキープするためではないかという当初の下世話な見立ては三井によるものだったが、彼女に続き自分自身が既婚者になってからも多忙な合間を縫ってこうして声をかけてくれるのは、生来のマメな性格もあるだろうが湘北高校バスケ部こそが自分の原点だと考えているからだろう。
その宮城のところに、長らくアメリカで選手を続けていた花道が帰国するという第一報が入ったのは当然といえば当然だと洋平は思う。なんでも湘北対山王のあの一戦は、十数年の歳月がたった今でも関係者の間で語り草になっていて、卒業後いずれもバスケの道を選ぶことになった当時のスタメンは業界のちょっとした有名人らしい。中でも宮城は、花道と同時期・同じ学校に奨学金を得て留学していて、苦労をともにした仲というのが周知の事実だったから、先方もわざわざ耳に入れてくれたに違いない。
アメリカの大学で過ごした宮城が帰国し、次いで花道より1年早く渡米して大学バスケの上位校で数年間プレイしていた流川が、帰国後鳴り物入りで国内トップの実業団へ加入してからも、ひとりアメリカに残ったのが花道だった。プレップスクールで2年、大学リーグに5年。その後は現地で働きながら、NBAの下部リーグであるDリーグに在籍している。
今も実業団の強豪チームでプレイする流川と赤木、プロリーグの人気選手になった宮城、そして実業団を先ごろ引退して、地方の女子大でコーチとしてのセカンドキャリアをスタートしたばかりの三井。あの夏をともに過ごした5人は、それぞれの場所で今もバスケを生業としている。
花道の渡米から数えて、もうすぐ丸13年という歳月が流れようとしていた。
考えあぐねた末、『こっちに帰って来ることになったってホント?』と洋平が送ったごく短いメッセージにようやく返信が届いたのは、それから3日後のことだった。
*
風呂掃除を終えると、羽田空港へ向かうために高宮たちと約束した時間はもう間近だった。着替えを済ませてから、掃除道具を片付けるついでに洗面所の鏡に映った姿を確認する。花道を見送ったときの洋平は高校を卒業したての18歳で、新人のくせに毎朝がっちりリーゼントでキメていたものだ。それが中学のころからの洋平の鎧だったから。実家を出て悪友たちと別れ、ここからひとりで生きていくのだと、思い詰めながらも人並に漠然と期待感を抱いていたはずの若者は、少しくたびれた表情でこちらを眺める妻子持ちの三十路男になっていた。13年。13年だもんな。当然といえば当然だ。さっき髭を剃ったばかりの滑らかになった頬に触れながら、もしかしたら花道は俺のことぱっと見で分からないかもしれないという考えが過った。13年。最後に直接会ったのだってもう何年も前だ。
少し迷ったが、最近は時々しか使わなくなった整髪料と櫛を戸棚から取り出す。空港の人混みの中で、赤い頭の大男は十分目立つに決まってる。だからこちらが見つければ済む話だけどそれよりも、できるなら少しでもあの頃と変わらない自分で迎えに行きたい。洋平が久々にリーゼントで現れたら他の連中には思いっ切り笑われそうだが。いや、もしかしたらあいつらだって。
どんな顔をして花道を出迎えればいいのかまだ分からなかったが、ともかく出かけなくてはならない。望むと望まざるとにかかわらず、人生はいつもこういう感じで進んでいく。
洋平は手早く身支度を整えて、誰もいない自宅を後にした。