Seize The Star

© 2023 Seize The Star.
Designed by Utsusemi.

青の幽霊(5)

1985年6月上旬 15歳

 しとしと小雨の降る火曜の放課後、洋平はおよそ半月ぶりに体育館へと足を向けた。ここしばらく雨の日が続いている。登校中に通ったタバコ屋から漏れ聞こえたラジオによれば、今朝梅雨入りが発表されたらしい。この季節、設備が十分と言えない公立校の運動部のあいだでは、いつも以上に体育館や屋根のある練習場所を取り合うことになる。戦績の芳しくない部ほどその優先順位が低くなるのが常だが、どうやら今年の湘北バスケ部はそうでもないようだった。5月に県予選会が始まって以来、第4戦までを対戦校に大差をつけて勝ち進み、今や弱小校の汚名を返上しつつある。お行儀のあまりよろしくない我が校でも問題児ばかりを集めたようなバスケ部に関して、校内では快挙を期待する声と陰口に近い噂がごちゃまぜになって、関係のない生徒の間でもちらほらと話題にのぼるようになっていた。クラスメイトからも、はなみっちゃんたちすげーんだななどと声をかけられるが、そのたび洋平は曖昧な笑顔と適当な返事でその場を切り抜けた。

 快進撃と言っていい活躍の続くバスケ部だが、花道の機嫌は日ごとに悪くなる一方だった。高宮が晴子ちゃんから聞いてきたところによれば、4試合目もファウル5つで結局退場になってしまったらしい。周囲の期待度が日ごと上がるにつれ、調子にのった大楠たちは花道が退場するかどうかで賭けごとを始める始末だ。あの花道がいつやけを起こして大暴れするか、心配半分面白さ半分といったところだろう。奴らの悪ノリも分かるが、ここのところの花道は冷やかすのさえ躊躇してしまうほどの落ち込みようで、湿気のせいか赤いリーゼントも心なしかしおれてしまっているようだ。そもそも経験者たちの中で試合に出て頑張ってるんだからうまく行かないのはそりゃあ当然で、愚痴なり弱音なり吐いてくれればいいものを、バスケットマンにオレはなると宣言した手前か、洋平たちには苛立ちは見せても気弱なところを見せようとしない。花道なりの意地があるだろうが、行き詰まっているのを何とかしてやりたいと思うのが親心、いや友達ってものだろう。

 そういうわけで洋平は、久々に体育館へ練習を見に行ってみることにした。なんだかんだでここに来るのは三井の一件以来だ。表向きはバスケ部襲撃の犯人ということになっているから遠慮してるというタテマエだが、本格的にバスケを始めた花道の邪魔をしないでおこうという暗黙の了解が、自分たちの間に確かにあると思っている。花道が本気でバスケをやるなら、もしこのまま離れることになっても別に構わない。住む世界が違うというのはそういうことだし、もともと同じ場所にいた者たちが別々の道を選び離れていくのだって、別に特別な話ではない。ただ、それで花道が不幸せになるというのなら話は別だった。

 人目につかないよう、晴子たちがいつも見学している入口ではなく裏手の通用口に向かう。体育館の中を伺える位置までそっと近づけば、バッシュが床を鳴らす音と部員たちの掛け声が聞こえてきた。本来火曜に体育館を使うことになっているのはバドミントン部だったらしいが、今日もここで練習しているのはバスケ部のはずだ。というのもこの前、赤木と木暮のふたりが廊下でバド部と思しき3年に直談判しているのに出くわしたのだ。面白そうだと思ってしばらく陰から聞き耳をたてていると、インターハイ予選で早々に敗退したばかりだというバドミントン部主将は、体育館の使用権を譲ってもらえないかと迫られているところだった。赤木が頭上から威圧して(本人はそんなつもりないのかもしれないが)相手が小さくなっているところに、木暮がすかさず妥協策を提案する。赤木だけならともかく、あの木暮の人当たりの良い笑顔で頼むよと眉を下げられれば、大抵の奴は断り切れないんじゃないだろうか。眼鏡をかけて見るからに真面目な優等生の木暮が、ただ物腰柔らかなばかりではなく存外芯のある男だというのは洋平もこの前の事件で知った。バド部のキャプテンは、剛柔織り交ぜた説得を受けて7月いっぱい火曜放課後のコートを開け渡すことを呑まされ、今は体育館脇の屋根のある渡り廊下で基礎練の最中だ。彼らも彼らでご苦労なことだよな、と洋平は心底思う。もちろん皮肉ではない。バスケ部と多少の縁が出来てからというもの、ほかの運動部にも自然に目が向くようになった。レベルや目的の違いこそあれそれぞれに何かを目指して練習に励む姿は、心なしか以前よりも眩しく感じる。それはきっとひたむきに何かに向かう姿に花道たちを重ねてしまうからだろう。

 じっとりと湿気のこもる体育館の中で、バスケ部は汗だくになってミニゲームの最中だった。花道、宮城、1年の石井チーム対、赤木と2年ふたりの3×3だ。花道は右へ左へ、相変わらず激しく走り回りボールに飛びついて、そのたびに宮城や赤木、コートの外で休憩中の三井からも檄を飛ばされている。その動きは明らかに他の部員たちより運動量が多く無駄だらけのように見えるが、少し見ないうちにかなり動作がそれらしくなってきたように感じる。身内のひいき目かもしれないが。

「おや。君は桜木君の」

 と、ふいに背後から声をかけられて洋平は飛び上がりそうになった。振り返ると丸いシルエットの男がひとり、薄暗い通路をこちらへ向かって歩いてくるところだった。バスケ部の監督の、たしか”安西先生”だ。手にはハンカチが握られている。体育館の裏手のトイレにでも行ってきた帰りだろうか。一瞬見つかってしまったと思ったが、素行の悪い生徒がこんなところでこそこそ中を伺っているのを見とがめるようなそぶりではない。顔見知りを見つけてちょっと挨拶しただけという感じだった。自分の顔を覚えられていたのを洋平は少し意外に思った。ぽっちゃりとした顔回りの柔らかそうなラインと穏やかな口ぶりが優し気な印象だが、バスケ部の面々から深い尊敬を集めているあたり、どうやらかなりやり手の指導者らしいのは知っている。とはいえ、前に応援に行った試合の時も黙って座っているだけだったし、指導らしい指導をしている場面を、というかろくに喋っているところを見たことがないので、このオッサンがどういう人物なのか洋平には判断材料がない。ただ1点、どうやら花道のことを買ってくれているらしいことだけは耳に入っていた。
 教師、というよりそもそも大人という生き物全般を昔から洋平は信用していない。特に子どもに対して優位に立つことに慣れた大人は好きではないから、運動部の指導者なんて極力関わり合いになりたくない人種だ。いつもなら適当にあしらって退散するところだが、洋平はふと考えなおして安西の方に向きなおった。ちょうどいい、これはなかなか得られない機会かもしれない。

「あの、先生。どーっすかね花道は」
 安西は、体育館を背にした洋平の前で立ち止まってこちらを見た。体型のせいかあまり背の高い男という印象ははなかったが、近くに立たれると元選手だけあってやはり大柄で、洋平からは見上げる形になる。

「どうとは?」
「ずっと、試合で退場にばっかなってるってきいて」
「ふむ」

 花道が不調を脱する手がかりになるようなアドバイスをもらえたら御の字だが、それに加えて、この一見ふんわりした雰囲気の監督が、そうそう活躍できないのが分かり切っている素人の花道を試合に出し続ける意図が分からないと前から思っていた。花道が苛立ちを募らせているのを見ていると、もっと育成の仕方ってものがあるんじゃないかと文句の一つも言ってやりたくなる。安西は、丸々した顔面にいつもの好々爺らしいほほえみをうっすらと浮かべたままで、洋平が言葉を継ぐのを待っている。

「で、花道ずっとイライラしてるみたいで」
「なるほど。それで?」
「それで、ていうか。どうしたらいいのかと思って」

 フライドチキン屋の前に立つ人形によく似たいかにも無害な風貌の男は、白い口ひげに触れながらもう一度ふむ、とつぶやいた。期待したより反応が薄くて、洋平は少しだけイラつきを覚える。何を考えているのか、それとも何も考えてないのかを読み取ろうと顔色を伺うが、口ひげと分厚い眼鏡のせいで表情がよくわからない。しばし考えるそぶりを見せたあと、安西が口を開いた。

「君。それは桜木君の問題ではないですか」
「…いや、なんすかそれ。こっちは花道が悩んでるのにほっとかれてるから心配してんじゃないすか」

 ほっとかれてる、と言ったとき、初めて興味を引かれたように安西の眉がわずかに上がった。眼鏡の奥の目が洋平の顔をまじまじと見ている。優位に立っている側がよくやる行動だ。そう思うとイラつきが増す。適当にはぐらかすんじゃねえぞ、と心の中で威圧して、洋平は下から見上げる目線に力を込めた。

「ファウルの加減は―――そうですね、地道にフットワークの練習と、あとは実際に身体で覚えていくものです」
「慣れるしかないってことすか」
「そうですね」
「なんかもっと、やりようないんすかね。ひとりだけ初心者で必死に追いつこうとしてるんだから。努力だってしてるのに、誰だって自信なくすでしょ。ちゃんと見てればそれくらい分かると思うけど」

 苛立ちが棘になってつい声に出てしまう。花道が試合に出られるかどうかはこの男の匙加減一つだから、あまり余計なことを言わないほうがいいのは分かっている、分かっているが。言ってしまってから怒らせたかとひそかに表情を伺ったけれど、安西は全く意に介していない様子で、しかしほんの少しだけ面白がるように口角が上がっているように見える。やはりこの大人は何を考えているかわからない。

「そうですね。何事もよく観察することが肝心です。そしてどうすればいいかを考える。彼にはできますよ。周りが少しだけ手助けしてやれば、すぐにでも」
「その手助けが必要って話じゃないですか」
「初心者にだってプライドはあります。まして桜木君はあの性格だ。隣には強力なライバルもいますからね。プライドが邪魔をするか、それとも成長の起爆剤になるか」

 今度は明確に、安西の口元が緩んだ。
「そこは君。君の腕の見せ所ですよ」
「俺の…すか?」
「私や赤木君ではできない役割があると思いませんか、水戸君」

 ちょうどその時、体育館の中で鋭いホイッスルの音が響いた。審判役の木暮が何かサインをして、どうやらファウルを取られたらしい花道がすかさずそれに食ってかかっている。プレイが中断して、赤木達も花道のところに集まっていった。洋平の肩越しにそれを眺めながら、安西は付けくわえた。

「言っておきますがこの前のことを気にしてるなら問題ありませんよ。生徒指導の先生たちだって君らの芝居を本気で信じちゃいません」

 そう言うと安西はホッホッホと間の抜けた笑い声を残して、洋平の脇を抜けて体育館へと入っていく。洋平は言葉を返せないままその丸い背中を見送るしかなかった。安西は、コートの中でファウルだファウルじゃないと騒いでいる花道たちに何か言うでもなく、彩子の隣に腰を下ろしてその様子を見守っている。本当に、この監督は呆れるほど何もしない。だが何も見ていないわけではないのかもしれない。

「食えねぇオッサンだな…」

 温情をかけられていたことはちょっと癪にさわるし、バスケ部のために洋平までも利用しようというならしたたか過ぎると思ったが、そんなに悪い気はしなかった。木暮と赤木に何か指導されながら頭から湯気を昇らしている花道をしばし眺めて、それから洋平は体育館をそっとあとにした。

  *  

 翌日の午後、洋平と花道のふたりの姿は学校近くの屋外コートにあった。

 昼休みに入っても机に突っ伏していた花道を洋平が誘って連れ出したのだ。チャイムが鳴ったあと肩をゆすって起こしてやっても憮然としていたので、昼飯おごってやるよと囁くとしぶしぶついてきた。学校を抜け出して駅前のマクドで昼飯をごちそうし、そのまま5限の授業をフケることにして街をぶらつくうち、屋外のバスケコートで花道が足を止めた。この町には誰でも使える屋外コートが何か所かあるが、そこは古いけれどちゃんとフルコートの広さがあり、赤錆が付いたゴールポストも両側に立っている。洋平たちも花道の練習に一度付き合ったことがあるが、花道にとっては晴子さんから”庶民シュート”を教えてもらった特別な場所だ。今日はボールを持っていなかったが、花道は何も言わずにフェンスの途切れた出入り口から中に入っていったので後に続いた。今朝まで降り続いた雨で土の地面はまだ湿って、凹んだ部分にところどころ水溜まりが出来ている。まだ小学校も終わっていない時間だからか、周辺には洋平たちの他に人の気配はない。

 コートの中に入ると、花道はきょろきょろとあたりを見回した。ややあって、なにか見つけた様子でコートの隅に向かって歩いて行く。洋平が立ち止まって見ていると、フェンス沿いの植え込みのあたりに屈んで何かを拾った。バスケットボールよりふたまわりほど小さい子供用のボールだ。誰かの忘れ物だろうか、空気が抜けて手の上でいびつに変形している。花道はボールについた砂を雑に手で払って、右手に持ち直した。
 洋平が見守る前で、花道はゴールに向かっておもむろに走り出す。ゴール下まで来るとそのまま流れるようにジャンプ、そして右手のボールをリングへ向けて掲げる。左足でスムーズに着地した花道のうしろで、リングをくぐったボールがぼとりと地面に落ちてきた。鮮やかな動きに、洋平の口から思わずおぉと声が出た。

「庶民シュート、なかなかサマになってるんじゃねーの」
 ゴール下の花道のもとへ歩み寄ってボールを拾い上げ、手渡しながら声をかける。
「さすが天才だな」

 だが花道は差し出されたボールを受け取ろうとせず、泥で汚れたスニーカーのつま先あたりをじっと見つめている。
 洋平が黙っていると、やがてうつむいたままで尋ねた。
「なあよーへー。オレのどーいうとこが天才?」
「…急にどうしたよ」
「どーもしねー。天才なら試合でうまくいかないことなんかねーだろって思ってるだけ」
「なんだよ、拗ねたみたいな言い方して」

 正面に回り込んで顔を覗き込むと、思い詰めたような表情の花道が見返してきた。
「なあ、よーへー。前から聞きたかったんだ。お前オレんことすぐ天才って言うけどよ、何でそう思うんだ」
「なんでって、そりゃお前」

 花道が今のように天才を自称するようになったのは、洋平に天才と呼ばれるようになったからだ。はじめは喧嘩で他を圧倒する強さに対する素朴な感想だったが、それが次第に規格外ゆえの失敗や苦労を乗り越えるときの励ましになり、いつしかおまじないのような意味を持つ言葉になった。花道の目の前には今、バスケをするためだけに生きてきたような本物の天才たちがいる。スポーツという競争の世界に飛び込んで、今まで甘い慰めのような響きのあったその言葉の意味が揺らがなかったはずはない。

「花道のスタミナとパワーは流川にだって負けてないだろ。赤木サンたちも、お前の才能はすげぇって」
「オレ、すぐファウルとられて退場になっちまうんだ」
「試合のたびに進歩してるってこないだ晴子ちゃんが言ってたよ?俺も今の見てそう思った。実際すごい勢いでうまくなってるだろ」
「オレはな、もっとうまくなりたいんだよ。もっと早く、もっともっと」

 なだめようとあえて流川の名前を出してはみたものの、今はライバル心以上に試合で思うようにいかない焦りが大きいらしく、いっそう尖らせた唇の先はかたくなな子供のようだ。
 見つめ合ったまま沈黙が流れた。ボールを持った右手がじっとりと汗ばむ。

 長い静寂のあと、次に聞こえた言葉は普段の花道から想像もできないような弱々しい声だった。
「どうしようよーへー。楽しいはずなのに苦しい。楽しくない。どうしたらいいか分からねぇ」

 普段の虚勢や強がりが全部剥がれ落ちた声でそう絞り出して、花道はまた地面に視線を落とした。見開いた目のふちに涙の粒が溜まっていく。洋平は息ができなくなった。心臓がぎゅっと握られたように苦しくて、でも花道はもっと苦しそうで、こんな辛い顔をさせるものが心底うらめしい。

「…そうだなぁ」
 平静を装いながら、見おろした足下に向かってつぶやいた言葉は語尾が震えてしまう。

 楽しくないんだったらやめちまえよ。
 前みたいに俺らと町に遊びに行ってさ。毎日楽しくやろうぜ。
 そう言えたらどんなに簡単だろう。

 横から背中に手を置くと、花道は嗚咽する代わりに音もなく身体を震わした。顔を見てしまわように遠くへ目線を上げると、コートの反対側に立つリングが見えた。あそこにボールを入れるだけの単純なゲームのはずなのに、全然簡単じゃないんだなと思う。簡単じゃないから楽しくて、うまく行かないともどかしくて、それがまたどうしようもなく心を惹きつける。わかるよ、と洋平は思う。そうやって惹かれる気持ちは俺にだってわかる。

 しばらくの間、背中を上下にさすってやりながら花道が落ち着くのを待った。それから、ゆっくり切り出した。

「花道はさぁ、バスケ好きだよな?」
「…そりゃあな。バスケットマンだからなオレは」
「じゃあさ。バスケしてて、どういうときに楽しいの?」

 ふぬ、と花道は鼻声で唸って、それから宙を見上げて考える仕草をする。
「そーだな…すげえ練習したことが試合でちゃんとできたときとか、それ褒めてもらえたときかな」
「ほかには?」
「うーん…」

 しばらく考え込んでから、「あ、あと」と続けようとして言い淀んだ花道に、洋平はもう一度顔を覗き込んで目だけで先を促してやる。
「シロートのくせにってバカにすんなよ」
「しねーよ」と笑うと、花道はもったいぶってごほんと咳払いした。

「あんな、ちょっとうまくなってるかもって思う時。前よりもちゃんとドリブルできたり、考えなくても身体が動いたりすることがさ、最近たまにあんだよな」
 そして、少し照れくさそうに付け加えた。
「そんで、なんか。自分が変わってく感じがすげー、嬉しい」
「そうか」

―――そうか。そうか、おまえは変わってくのが楽しいのか。

 洋平は大きくひとつ息をついた。それから花道と肩を並べて、前を向いた。
「そんじゃあさ、やることは決まりだな!」
 極力明るい声で続ける。
「楽しくなりたいんだろ?そのためにもっと上手くなりたい。でも方法がわからない」
 目線を合わせて確かめると、花道は素直にこっくりと頷く。
「ならさ、分かる奴に聞きに行ってみな、どうしたらうまくできるのか。あれこれ考えずに、使えるもんはなんでも全部使っちゃえよ」
「教えてくれって、言ってもいいのか?」
「当たり前じゃん!今俺に言ったみたいに、ゴリや先生に教えてもらうのさ。三井サンだっていい。教えてもらわなきゃどんな天才だってはじめっからできねーよ。大丈夫、誰もダメだなんて言わないから」
「そっか…そっかな…」
「もともとお前は打たれ強くて負けず嫌いで天才的に強い奴だったけどな、おまえが一番天才なのはそこだよ」

 何のことか分からないという顔をする花道に、洋平は笑って続けた。
「誰よりも一生懸命なとこ。バスケ始めるまで、お前がこんなにすごい奴だって知らなかった。ずっと一緒に居たのにさ、おかしいよな」

 花道は受け取った言葉を確かめるようにして黙った。ゆれる両の瞳が洋平の姿をまっすぐ映す。その目があまり澄んでいて、言葉にした以上のものまで見透かされてしまいそうで、洋平は少しだけたじろいだ。

「よーへー、おれ」
「花道」

 その口から何かが転がり出てくるのではないかと思って、そんなわけあるはずがないのに、とっさに遮るようにして続ける。

「大丈夫、おまえならできる」

 まっすぐ目を見て、噛んで含めるように言う。できるよ、俺は信じてる。だから思いっきりやってみろよ、何度失敗してもいいから。
それが洋平が今、友達として花道に渡せるもののすべてだった。

 洋平は花道から身体を離して一歩踏み出すと、振り返ってちょっとおどけた調子で続けた。
「俺たちじゃファウル取られない練習には付き合ってやれなくて悪いけどさ。話聞くならできるぜ。いつでも」
「よーへー」
「あと、泣きたいときは胸貸してやるからさ?」
「だ、誰も泣いてなんかねー!!」

 顔を赤くして憤慨している花道を置いて先に歩き出すと、後ろから声が追いかけてくる。
「なぁ!よーへー!」
「なに」
「次の試合は応援しに来い!この天才の活躍をちゃんと見とけ!」
「おっけー。絶対行くから退場すんなよ」
「おうよ!!」

 ドタドタと走って隣に追いついて、それから乱暴に肩を組んできた花道の顔には、ふたたび力強い意志がみなぎっていた。ようやく花道らしい顔になった。やはりこいつは不遜なくらいがちょうどいい。そう思って洋平はやっといつものように笑えて、花道もそれを見て嬉しそうにした。何やら思いついたようにこれから行くところがあると言うので、公園を出たところで花道と別れた。後で聞いたところによれば、その足で赤木の家を訪問して、ファウルにならないための教えを請うたらしい。

 一歩一歩でいいんだ、そのままゆっくり進んでいってくれ。そして願わくば、隣にいさせてくれ。いつまで続くかわからない今を、花道から目を離さずにいたいと洋平は思う。

 それはその夏の洋平にとって儚くて大切な、本物の願いだった。

  • WaveBox
NEXT RETURN

MENU